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2008年7月 |
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つるべとられて もらいみず
花が釣瓶をとったんじゃないのに可哀想だから 近所の井戸に水をもらいに行くやさしさを アピールするなんて、俳句としての「写生」の精神に あらず、と明治になってから心外な批判をされたそうだが、 五七五の句が写生・真実じゃなきゃいかんというほど まじめにつきつめるのも一方に偏っているんじゃないかと 私は思う。
昔はキキョウ=朝顔といったとかいわないとかで、 朝顔は秋の季語だというが、もうすでに近所の裏の 窓枠にシュルシュルとからんで咲いているのを 携帯でとって、そのままでは何なので 画像ソフトでちょっとスケッチふうに加工。
前回の書き込みを見た副長が 「長い!!」 と のたまうので(笑) 短く終了しようと思っていたら ちょーど昨夜副長の江戸下町悪ガキ時代の 記事があるので挿絵になってよいかも、です。
まだまだあんなもんじゃ…… 副長のお子様時代の逸話は…… ぶろぐには「あれは書かん!」というのがいくつも(笑)
そういえばきょうはタナバタ。どうやら雨まじりです。 新暦だと7月7日はまだ梅雨空、織姫と彦星も 会いづらくなって、携帯かメールでやりとりして いるかもしれません。 会えない時間が愛育てるのさって、郷さんが歌ってたっけ。 会いたい人がいるうちが花です。
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客人が今回、上野を巡ったので・・・・・・σ( ̄- ̄;)
浅草で産湯を浸かり、彰義隊の墓地で遊んだ
下町育ちの私にとって浅草上野といえばぁ・・・・
歓楽街!(≧∇≦)b
家族大勢でバスに乗り込み、いざ!あさくさへ・・・・・・・。
花やしきで身も凍るローラーコースターに乗り(οдО;)
あのニッキが大嫌いな雷おこしを無理やり食わされながら
五円片手にせんそーじでみようみまねにパンパン!!
昼は洋食屋さんでお子様ランチを旗片手にかぶりつき
日章旗の楊枝棒つきをばかづらで喜びながら
あめりかんくらっかぁなる遊戯を買ってもらい
帰途のバスの中で指をはさみながら鳴らして親に怒られ
って・・・・・・・・・・・・ばかぢゃ〜ん(οдО;)
上野の印象は「へんなおっさんがいぬつれている銅像!」と
似顔書き集団および白服救世軍のこわ〜いおとな!ヽ(`Д´)ノ
幼児の頃の印象では遊び場である浅草は時代の流れで
映画と競馬の町になり家族連れはめっきり減ってしまい
上野が下町の娯楽のメッカとなってしまったんぢゃぁ・・・・。
って日本昔話調になっとるぞぉヽ(`Д´)ノ
動物園にアメ横にデパート、映画と人をひきつける娯楽ばかり!
ある年齢に達するまで歴史に興味もなく遊びほうけていました。
でもこの界隈は上野戦争の舞台でもあり、徳川の聖地でもある
東叡山であり、その裏手には谷中墓地がある。
谷中には幕府の家臣であったという誇りをもった侍の眠る土地
そして猫の安住できる聖地でもあるのですぜ。(≧∇≦)b
近所には明治大正昭和に活躍した文豪の聖地である
湯島、根津、千駄木界隈と
歴史好きにはたまらない場所であると認識した途端に
江戸生まれでよかった!・・・・と実感しましたね。(b^ー゜)♪
なんせ、この場所は数日ではめぐりきれません!
欲を出せば出すほど見れば見るほどに次から次へと
永遠に続くような錯覚にとらわれるほどに見る場所
感傷に浸れる場所などが残されているのです。
ある程度決めてめぐれば一日でもいけますがぁ!
あとでまた来る羽目となる事に・・・・・・・・・・・・・ヽ(`Д´)ノ
え゛?貴方も上野界隈に行きたくなったって???Ψ(`∀´)Ψ
食も豊富で安いところもた〜くさんありますぜ!
おおっと!この続きは茶会瓦版を買ってくらはいねぇ。ヽ(`Д´)ノ
(※注 茶会瓦版は存在いたしません。)
(※注 上野観光組合にも属してません。)
いじょ〜 (//∀//)エヘヘ ..続きを読む |
ムシムシジメジメして毎年のことながらかないまへんなの一言。
ともかくホークスが交流戦に優勝したのでめでたい。
私は野球ファンではないが、当屯所で喜んでる者が
二名いるもので(笑)
すでに誰でも知る通り、東京の繁華街をわざわざねらって
またとんでもない殺人鬼が出た。
動機がまたくだらなさ過ぎる。
たった2分で自分(こいつがどうなっても構いはせんが)、親兄弟、
そして亡くなった人、怪我をされた人、その周辺の人々の
人生を根底からぶち壊してしまった。
実生活でも人に馴染めず落ちこぼれ、ネットにはまるもそこでも
相手にされず、犯行予告の書き込みをしたから実行したという。
そんなもんネットのせいであるもんか、いい迷惑である。
かれこれもう十年インターネットを続けていると、
我が身も少なからずネット依存である事に間違いないと
自覚しているが、いかにHNを変え匿名で仮想の人に
成り代わりをしようとしても、まるっきり自分の現実の
本性までを変えて、素晴らしい大活躍が出来るという
ものではない。
幕末維新新選組に入って今まで何百(ではきかない)
という人との言葉のやりとりをし、また見聞きもしてきたが、
結局はその人のもつ人柄というかそれは良くも悪くもだが、
にじみでているものだと思う。
唐突に送られてくるメールや書き込みでも、たとえひと時の
夢であっても心ゆかしく温かく感じられる時もあるし、
逆に、何という自己中心、横暴、品のなさだろうと
嘆息し呆れてしまう事もある。
それは決してそこに綴られた言葉に含まれる知識教養とか
巧拙とか、そんなものが基準ではない。
いかにもハイハイご高説承りました……としかいいようのない、
かといって相手にもしたくない文面もあるし、仕事上で書いて
きたわりには何という失礼なと感じる文面もある。
読む人のことを考えれば、たとえヘタクソでも丁寧で
誠実であれば、なんとか言わんとするところは通じるものだ。
実際、顔を合わせる事もない人からのメールを読んで
泣いた覚えもある。
毎日毎日、PCか携帯でネットに入り込んでいれば、
それは自分ひとりの思い通りになる仮想空間であると
錯覚してしまうのも無理はないのかもしれないが。
茶会に来る客人(特に学生さん)にも度々言ってきたが、
ネットは公の場であって(世界中につながっている)、
現実の社会で言動することと本質は変わらない。
ネットでの書き込み、チャットでの発言、メ ..続きを読む |
by 沖田総司 ¦ 22:27, Monday, Jun 23, 2008 ¦ 固定リンク
といっても、毎年のことなので特に新しい感慨はない。 新選組にとっては当然の仕事をしただけ。勤皇志士とやらの、現状打破に何かせにゃいかんという無駄なテロ計画のために死人がたくさん出た、というのが事実で、そこで未然に防いだはずの志士放火も結局は、長州人が大挙して一ヶ月後には御所に発砲して京都を大火にして負けて帰って朝敵となり追い払った薩摩人と手を組んで数年後には維新の元勲とやらにおさまりその後の日本を悪くしていったということ。 元治元年六月五日の時点で、政治犯だった連中は後に殉難者として顕彰され生きていれば閣僚だったのにといわれ、(臨時雇用ではあっても)殉職警官であった安藤と新田と奥沢は「三人え」という追悼金をもらい、周辺警備に駆り出された会津桑名の藩士の命も消えていき、後日の捜索のとばっちりで柴や麻田も腹を切るはめになった。 習い性としてドラマで池田屋の場面になればワクワクと血が躍るのだけれども、同じ場面を見たくも無い人もいる。映像化の度にそこでバサーッと斬られて血しぶきを上げて死ぬ志士の縁者にとってはにっくき池田屋事件であるのは当然だろう。私自身にもいろいろあって、「池田屋」という名は実はあまり思い出したくない一日でもある。
というような事を考えていたらば夕方から仕事の帰りにかけて体調がえらいことになり医者にいけるような時間でもなく、明日大丈夫かいなと思ってひと晩寝たらどうにか起きられている。ともかく戸板に担がれなくてよかった(笑)
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が、いつの間にか6月1日(旧暦)という事になっているそうで、それは研究家の釣洋一先生が沖田さんのごきょうだいの子孫(沖田総司に子供がいないとすると総司の子孫とはいわない)の間に伝わる、総司が生まれた日は昼間でも真っ暗だった、という話と「黒い子」と呼ばれていたという、まことしやかな伝説をもとに、総司生誕のころの「日食」のあった日を推定して6月1日ではないか?としたものが広まったということである。それがいつしか既成事実のように定着して釣先生ご本人がびっくり、だとか読んだ記憶があるが、そもそも数え年と陰暦を使う江戸時代の個人の誕生日や生誕伝説は後から周囲の都合のいいようになってしまうのだから意味がないし気にもしない。たとえ親類縁者にしたってどのくらいその人の思い出を正確に書き残したり語り伝えているかということははなはだ不確かというしかない。そういえば今年の誕生日、うちの伯母が覚えていて電話をくれてこっちが驚いたぐらいで申し訳ないが伯母ちゃんの誕生日を私は知らない(笑)
昔の暦に5月31日はないので、5月30日の命日の次が6月1日の誕生日ということになると大変奇遇でなにやらすごいような気さえするが、自分の誕生日に死んだ坂本龍馬もいる。
それよりも、池田屋が間近である。
「今年も討ち入りの季節がやってまいりましたぁ」
「その、今年も っていうのやめろよ」
これは、江戸むらさき特急という伝説の時代劇ギャグ漫画にでてきた忠臣蔵浪士たちのセリフ。思い出すたびに池田屋事件のことが連想されておかしい。幕末維新新選組の屯所にとっても、今年も池田屋の季節がやってまいりましたぁ、という感じである。倒幕が1年延びたか縮んだかはどうでもよく、ただの集団テロだの殺戮だのと新選組をおとしめることで相対的に維新志士の位置を持ち上げようと新選組ファンに空しい悪口を浴びせてわざわざ嫌われるという気の毒な人もどこかにはいることだろう。
「風光る」と「島耕作(主任編)」の最新刊を同じ日に読んだ。架空のキャラクターを描いて誰よりも長く続けているという一事だけでも作者の努力に敬意を抱く。愛着もあれば飽きもある、のが長寿連載かもしれない。事実をヒントにはしつつも中身が絵空事なのがマンガの面白さであり、マンガで正しい歴史を学ぼうなんて思ったらいかんというか読むほうは別にそこまで期待していないわけだが、しかし課長島耕作がとうとう ..続きを読む |
慶応4年5月30日、西暦1868年7月19日。 新選組の象徴である剣士が結核にて逝く。
歴史上での活躍は少ないが新選組自体が 沖田総司を象徴にしているし、一番隊という 先陣をきる隊を任されていて剣術師範である。 天然理心流師範代であり、三段突きの名手と 記されている事から常に新選組内での剣術の 腕前順位に上位に名を刻む存在である。
新選組ファンにとって優劣を想像しないはずはなく 一番隊 沖田総司 二番隊 永倉新八 三番隊 斎藤一 監察方 吉村貫一郎 服部武雄 などが頭の中で想像される人物ではないでしょうか。 上記人物らは隊長や剣術師範であり、外せないでしょう。 事実模範試合で竹刀を交えているでしょうが、 刀での戦いとは異なりますねぇ。 事実は戦っていないので順位は不可ですが。 私個人の想像でしたら「沖田総司」が一番です。 理由はありません!強いて言えば 新選組の一番隊隊長であるのですから名目上でも 一番と云えるからでしょうねぇ。
一剣士がこれだけ有名になるのは稀でしょうね。 幕末維新に新選組が活躍したからこそ、 「沖田総司」という名が今の時代にも輝くのでしょう。 27歳という短く太い人生を生き抜いた幕末最強剣士 その名を我々は生涯忘れない。 |
当初の目的が途切れた彰義隊は上野山で
事実上、烏合の衆と化していた。
江戸入場を果たした西軍は藩軍兵以外は
募って集めた烏合の衆であり、江戸の庶民に
乱暴狼藉、強盗強姦と暴徒と化していた。
所々で彰義隊と激突したが、彰義隊に
地利とともに分があり、江戸の庶民は
こぞって治安を守る彰義隊を賛辞した。
西郷はこの状況に困り、勝海舟に江戸の治安を
委ねたのである。勝は早々に彰義隊を預かり
江戸の治安名目で彰義隊に府内見廻りを任せる。
吉原の花魁も「情夫を持つなら彰義隊士」と
云わしめたほどに江戸では人気が高かった。
江戸開城時の勝の軍配備は解かれていない。
勝は江戸湾に「榎本海軍」陸上に「彰義隊」
江戸近辺に「陸軍」を要所の鎮圧に向けている
名目で江戸近辺を取り囲んでいた。
唯一誤算であったのは「新選組」の瓦解である。
この配備を楯に主君「慶喜」の減刑を引き出す
公算なのであった。しかし、この目論見は
一人の男が江戸に入った事により崩れるのである。
その男とは長州「大村益次郎」である。
江戸に入ると陣形を確認し勝の目論見を看破する。
もしこの時点で幕府側が戦いを仕掛けたならば
湾から「榎本海軍」の砲撃、府内では「彰義隊」の
ゲリラ戦にあうことは必定。江戸付近に鎮圧で
出向いている「陸軍」が江戸を取り巻けば
逃げて体制を整える事も不可能である。
喉元に突き付けられた刃「彰義隊」討伐が優先。
だが資金不足で江戸鎮圧すら間々ならぬ状況下。
大村は江戸城にある宝物を売りさばき大商人に
金を工面させて軍資金不足であった西軍を建て直し
獅子身中の虫である「彰義隊」討伐を決めてしまう。
それも時間を掛ければ「陸軍」が助っ人に来る。
短時間で上野山から散らす作戦に出る。
江戸の庶民の拠所ゆえ卑怯な夜襲などせずに
庶民の面前で叩き潰す作戦に出たのである。
戦争間近のこの時期に原田左之助は永倉新八と
袂を分けて新選組仲間である岸島芳太郎の
取次ぎで彰義隊に加わったのである。
永倉と袂を分けたのは妻を名目とされている事が
云われているが、それならば京に向かえば良い事。
近藤勇の無慈悲な処刑を聞きつけ理不尽に憤慨し
永倉に江戸戻りを提案したが聞き入れてもらえず
単身江戸に向かったのが事実ではないだろうか。
慶応四年五月十五日早朝小雨
西軍が上野山を取り囲み総攻撃が始まる。
加賀藩邸(現在の東大)からアームストロング砲を
打ち下ろす。命中率 ..続きを読む |
五月も半ばとなると上野彰義隊戦争、という事で……
ちくま文庫 「合葬」(がっそう) 杉浦日向子著 を再読。
何年も前に買って読んだものだが、著者が急逝されて話題になったので最近でもまだ新刊で発売されている。地味な作品で、なぜ彰義隊?という背景がとりあえず頭に入っていないとわかりづらいかもしれないが、それでも、将来がそのままいけば安泰だったであろう旗本のお坊ちゃま、若様たちが、なぜか時の勢いにまかせて上野のお山に(主君慶喜が水戸に退隠した後さえも)集まり、わけのわからないうちに大人の思惑でアッという間に戦争当日をむかえる。そしてまったくの反戦派であった者さえパーンパーンと弾に当たって死んでゆく。残った者は指揮者もろくにおらずどうしてよいやらわからない。はじめからこの戦は「ばかげているッ!」と、皆が皆、わかっていないわけでもなかったのだ。何しろ守るべき主君はとっくに引いているのだから。読者もどこかで「あ〜あ」と思いながら、ドラマの大げさなクササ慣れではなく、淡々と空気の中を漂うような奇妙なまでのリアルさ、昨日までは徳川様と持ち上げておいて敗れたら手のひらを返して密告に走る親戚の冷たさ、それに対し通りすがりに近いもののふとした情け、などが胸にしみる。描かれるのは主に三人の幕臣の若者だが、周辺の人もそれぞれに生きている。形の見えない空論のために生死まで賭けられるというのは、多分に当時の教育を受けた人でしかわからないものがあったのだろうが、読んだあとで、ああこれは白虎隊の少年達にも通じるなと感じたりもする。
杉浦日向子さんのマンガは、百物語や百日紅(さるすべり)などの代表作のほかに、「とんでもねえ野郎」という題名の通りふざけた野郎が出てくるとぼけた笑いの作品もあるので、文庫をポケットにつっこんで、何度みてもそれなりに楽しい。
原田左之助が永倉新八にアイソをつかしたか妻子に未練を残したとかで会津には行かず江戸へ引き返し、そこから彰義隊に飛び入りしてひどい怪我をして死んだ、という。それはいかにも左之助らしくもあり、意外に左之助らしくもない、ともいえ、確かめようがないことではあるが、伝承にもとづき17日は命日として手をあわせる。日頃はそんなそぶりも見せない人がけっこう、離れた子供の写真をいつまでも持ち歩いていたりもするから、わが子に未練というのは本当のようなそうでもないような。たとえば、いくら ..続きを読む |
西暦では1869年6月20日 幕末維新史のひとコマですが、箱館戦争での大きな 変動のあった日と云えるでしょう。 新政府軍側が箱館総攻撃を決行したのです。 箱館新選組隊士は一小隊が弁天台場へ、 半小隊が箱館山背面の寒川に配置されていたが 奇襲を受けて交戦しながら後退の際に山にて
京都新選組からの古参隊士 蟻通勘吾 慶応三年入隊 長島五郎作 元幕臣で仙台からの入隊 粕谷十郎 三名か討死。
箱館新選組は市中見廻隊士と合流して弁天台場に 逃げ込み交戦するが
元備中松山藩士で仙台からの入隊 乙部剛之進 元唐津藩士で仙台からの入隊 栗原仙之助 京都出で入隊経緯不詳 津田丑五郎 三名が討死す。
陸軍奉行並 土方歳三は五稜郭を出て孤立する 弁天台場の兵を救うべく額兵二小隊で向かう 一本木関門近辺で交戦、銃弾にて倒れる。
歴史上に「たら」「れば」は禁句でしょう。 まぁ、5月11日での歴史変動は無意味でしょうが せめて「開陽丸の沈没」を防げていれば? 「ストーンウォール艦奪取」が成功したら? などと考えて想像してみた事もあります。 まぁ、今の歴史に何の不満もなければ 「たら」「れば」を言う事も無いでしょうが。
彼らが夢求めて蝦夷に渡り、束の間でも掴んだ 「蝦夷共和国樹立」 彼らの御霊とともに想いを偲びつつ。
平成二十年五月十一日

撮影者 幕末維新新選組山南敬助 |
柱のきずは をととしの
五月五日の脊くらべ
ちまき食べ食べ 兄さんが
はかってくれた せいの丈
きのふくらべりゃ なんのこと
やっと羽織の ひもの丈
柱にもたれりゃ すぐ見える
遠いお山も 脊くらべ
雲の上まで 顔だして
てんでに 背伸び してゐても
雲の帽子を 脱いでさへ
一はやっぱり 富士の山
『脊くらべ』
(『子供達の歌 第3集』白眉出版社 大正12年5月)
作詞 海野 厚
作曲 中山晋平
柱のきずがなぜ去年(昨年)ではなくて「おととし」(一昨年)なの?という事は、もちろん歌詞なので語呂あわせという事もあるけれども、実はもっと、この歌には
理由があるという。
実はよく知られている話なのだろうけれども、きのうになって調べてみた。
昔の「唱歌」は国が定めたものなので、文語形式が多く、作詞作曲者の名はあえて公称しないのが決まりだったそうだ。
それに対し童謡は口語を使って作者から子供に親しみやすく作られたもの。
作詞 「海野厚」(うんの あつし) 本名 海野厚一
1896(明治29)年8月26日〜1925(大正14)年5月20日
静岡県豊田村曲金に生まれる。
7人きょうだい(4男3女)の長兄。
(旧制)静岡中学を卒業後、上京して早稲田大学へ。
俳人、詩人。北原白秋に認められ童謡を手がけ、中山晋平らと雑誌も出版、
代表作は「せいくらべ」「おもちゃのマーチ」。
結核のため28歳で死去、独身。
五月五日には静岡の故郷で弟妹たちの成長ぶりをせいくらべで計ってあげていた優しい「兄さん」のほうが海野厚だった。末弟の春樹とは17歳も離れていた。
ある年は東京で恩師の追悼会出席のため帰れず、そのまま2年が過ぎてしまった時、ああ弟はどんなに見違えるほど大きくなったろうなという思いをこめて、「はかってもらった弟」の視点で書かれたのが1番の部分の詩、その後に曲をつけるため郷里にみえる日本一の富士山をラストに加えた。
厚自身が故郷に戻る事はなく、家族のほうが東京に出て来て別に住んでいたようだが、晩年に末弟の春樹は「その日、母から厚兄さんの家に弁当を持っていって」と頼まれたのだが、病人の見舞いよりも都会の町の賑やかさのほうに気が行っている時だったらしい。春樹は母の言いつけにそむきプイと家を飛び出したが、その日に長兄の厚は亡くなったのである。ああ、なぜあの時に、厚兄さんに弁当を持っていって食べさせてあげなかったろう……と、後に大学教授になった海野春樹氏 ..続きを読む |
何百回目かは定かではありませんが。。。ヽ(`Д´)ノほんとかよ〜 本当におめでとう御座います。(b^ー゜)♪
5月2日といえば「八十八夜」 八十八夜(はちじゅうはちや)は雑節の一つで、 立春から数えて88日目の日。毎年5月2日頃。 あと3日ほどで立夏だが、「八十八夜の別れ霜」 「八十八夜の泣き霜」などと言われるように、 遅霜が発生する時期である。 そのため、農家に対して特に注意を喚起するために この雑節が作られた。 八十八夜は日本独自の雑節である。
又、この日に摘んだ茶は上等なものとされ、 この日にお茶を飲むと長生きするとも言われている。
「♪夏も近づく八十八夜…」と茶摘みの様子が 文部省唱歌『茶摘み』に歌われている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
昔からの言伝えでも晴れて田植えや茶摘みに最適な日ですね。 まぁ、沖田は天晴れな性格ですが・・・・・・・・・(≧∇≦)b
そーじ、誕生日おめでとう! 今後とも幕新沖田総司を宜しく御願いいたします。 |
一般にはこの金曜の夜からゴールデンウィーク突入、という事になるだろうか。
さっきアメトークという番組に見入っていたら零時をまわってしまったので、ふと気づいたらもう4月25日。
近藤局長のご命日である。合掌。
もちろん(毎年言ってる気がするが)慶応四年(明治元年に改元)はまだ陰暦(旧暦)なので時期が今のカレンダーとはずれている。
西暦 1868年 4月25日=慶応四年四月三日
◆近藤勇が流山で官軍に捕らわれる。
◆福澤諭吉が新銭座の塾に「慶應義塾」と命名する。
のだそうだ。
いつも参照している「中西正和歴史年表」のサイト(厳選リンク集にあり)では
日付、たとえば「4月25日」に何があったかを抽出する事が出来るので、そこから一世紀以後の4.25は何が起きているのかと見てみたら、
1974年(昭和49) ポルトガルで独裁政権が倒れる。
筑波大学が開学。
1980年(昭和55) トラック運転手の大貫さんが銀座で1億円を拾う。
1992年(平成4) 歌手、尾崎豊死去。
1994年(平成6) 羽田孜第80代内閣総理大臣就任。
手塚治虫記念館開館。
1998年(平成10) Jリーグ、ジュビロの中山雅史3試合連続ハットトリック達成。
……など、へぇぇと初めて知る事やすっかり忘れている事が並んでいる。
慶応四年四月二十五日(旧暦)= 西暦 1868年 5月17日
となるので、同じく 5月17日の出来事で抽出して幕末あたりを見たところ、
1818年5月17日 (文化15・4・13) 伊能忠敬、没。74歳。
……(ほほーと思ったあと)
1867年5月17日(慶応3年4月14日)高杉晋作、没。29歳。
とあって、ウワッとのけぞるぐらい驚いて机の上の缶コーヒーを転がした。
飲んだ後でよかった……
高杉晋作のちょうどきっちり一年後に近藤勇が死んでいるとは。
いや知っている人は知っているんでしょうけど今まで知りませんでした(==;;)
1969年(昭和44) ソ連の惑星間ステーションの金星6号が金星に到着する。
1980年(昭和55) フロリダで白人警官裁判全員無罪への抗議集会、暴動。
1985年(昭和60) 男女雇用機会均等法が衆議院で可決成立。……などなど。
高杉晋作と近藤勇が死してから100年を超えたところでは金星が出てくる。
しかし、どんなに科学が進んだところで人間はあまり変わっていない、それどころか悪いほうに後退している面もあるように思われる。
「誰でもいいから」とばかり、本来は ..続きを読む |

いつの間にか同志掲示板が ブログになってるし……(笑) というので、去年の写真+ イラストの合成画像を試作。
あかいはなおがぷつりときれたぁ〜、 すげてくれるてありゃしないぃ〜♪
と、いう歌がカラオケで流れる。(夜桜お七・坂本冬美) 唐突に「ティッシュ」という一言さえ歌詞に入らなければ 時代を問わない広い意味の歌になったのに、あえてそこに 奇をてらったのが惜しいところだと常々思っている。 「懐紙」でもいいじゃん、とか(笑)。
しかし、いつまで待っても来ない男は死んだもんと同じ、 っていう歌詞は非常に冷徹に現実に即応できる 女の立派さというか、ある種うつくしさというか。 所詮顔つきあわせて会っている時ぐらいしか、 恋とはアテにならんものかもしれませぬ。お互い、 携帯の向こうで何やってるかわかりませんしね。
しかし疲労がたまっている……ので、昨日コンビニで 「日帰り温泉ガイド」を買う。日帰り入浴で 食事つき1万いくら……ってあんたそりゃ、それだけの 金ありゃどっか泊まるよ(笑)というツッコミどころはあるが 会社の隣駅にも温泉湧いてるらしいことを初めて知ったので、 ぜひひとっぷろ浴びてこなくっちゃ。
さてあと4日で、近藤勇先生の命日です。 |
このドラマのおかげで「天 璋 院」での検索が増えて 別館サイト幕末英傑録のアクセスが飛躍しております。 我々が嬉しいのはそのページの関連である「女傑名鑑」 への興味を示してもらうことですね。 幕末維新ではどうしても刀や武器、知略での戦いが クローズアップされがちでどうしても男子に目が行きがちです。 当サイトで1999年から縁下の働きや主だって動いた女傑に 呼ぶに相応しい人物を出来る限り調べて掲載した甲斐があった と編集した隊士らが微笑んでいます。 その土地に出向けば「ここで近藤が息づいていたんだなぁ」とか 想いも様々に浮かんできます。 新選組も決して「英雄」ではなく我々と然程変わらない考えで (もちろん、その時代での価値観は違うでしょうが) 生きていたということが共感という感情をもたらします。 ミーハーでも歴史研究家でも共通する事がありますね。 それはその人物に興味があるということでしょう。 その人物に興味を持つ、良い意味であれ、悪い意味であれ その時代に彼らが存在していたという事が証明されるでしょう。 私はそれが彼らへの鎮魂であると信じております。 |
花は花でも桜ばかりでなく杉花粉も真っ盛りなのがツライこの季節ですが(==;;)
クシュクシュする目がカユイを通り越して痛いになってきて目薬が気休めにすぎないのとティッシュにわずかながら鼻血が赤く混じってそれが乾いた時には鼻の穴の中にカサブタができちゃって指つっこんだ時にゴリッてするのを見るともう春も爛漫だなと感じます……なんじゃそりゃ(笑)
季節の変わり目というかヘンな事も結構多くて、常識というものは、世の中からなくなりつつあるのかなと思いますが、どうにか周りの人のお蔭で助けられつつない知恵も絞って一日一日が過ぎてゆき、やがて葉桜から若葉まぶしい季節となるでしょう。
三月〜四月は人事刷新、移動の季節でもあり。
今日は新卒の入社式という事でものすごく似合わないスーツ姿をわざわざ見せに(笑)
来てくれたもとバイトの若い衆あり、明日は明日で取引先の上司が変わったとの事で、挨拶まわり開始。
雑事にわずらわされる事もままありますが、グダグダ言っているだけではちっとも前に進まないので、一つずつ気持ちを切り替えて前に歩いていくしか仕方ありません。
最寄の駅前に巨大なマンガ&ネットカフェがあり、たぶん一生かかっても全部は読めまいと思う位の量があるので(^-^;;)ちょっと時間があると寄り道する事にしていますが、規模が大きいだけに、どこから入手したんだか三十年以上前の往年の名作もあれば、今現在テレビ化されて流行している最新作もあり。
たとえ一冊105円まで下がっている本だとしても、そんなに大量には部屋に置いておけないので、時間分のお金を払って目についたものを読むわけですが、自分が絵が好きなため、パラパラとめくって絵柄が気に入らないと、どんな話題作でも読まず嫌いのまま……という事が多い。
男性ものも女性ものも、あえて片寄らずに読むようにしているほうですが、「スゴイ人はスゴイなー」と、絵・ストーリー共にグイグイ引きこまれてほんの1〜2冊試しに読むつもりが結局はそのためだけに3日通いつめて一気読み、なんていう事もしばしばで、もしかして古本でセット買いしたほうが安かったか……とも(笑)
描く人は本当にスゴイ労力が必要なのに、時間を気にしてこんなにすっ飛ばして読んでしまってしかも著者にはお金も行かず(-−;;)申し訳ないなとちょっと感じます。
しかし、何年もかけて買ってまで揃えたいと思うマンガが(年齢のためもあるでしょうが)どの ..続きを読む |
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幕末維新新選組

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