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2008年 4月25日

新選組局長 近藤勇命日
一般にはこの金曜の夜からゴールデンウィーク突入、という事になるだろうか。
さっきアメトークという番組に見入っていたら零時をまわってしまったので、ふと気づいたらもう4月25日。

近藤局長のご命日である。合掌。

もちろん(毎年言ってる気がするが)慶応四年(明治元年に改元)はまだ陰暦(旧暦)なので時期が今のカレンダーとはずれている。

西暦 1868年 4月25日=慶応四年四月三日 

  ◆近藤勇が流山で官軍に捕らわれる。
  ◆福澤諭吉が新銭座の塾に「慶應義塾」と命名する。

のだそうだ。
いつも参照している「中西正和歴史年表」のサイト(厳選リンク集にあり)では
日付、たとえば「4月25日」に何があったかを抽出する事が出来るので、そこから一世紀以後の4.25は何が起きているのかと見てみたら、

1974年(昭和49) ポルトガルで独裁政権が倒れる。
筑波大学が開学。
1980年(昭和55) トラック運転手の大貫さんが銀座で1億円を拾う。
1992年(平成4)  歌手、尾崎豊死去。
1994年(平成6)  羽田孜第80代内閣総理大臣就任。
手塚治虫記念館開館。
1998年(平成10) Jリーグ、ジュビロの中山雅史3試合連続ハットトリック達成。

……など、へぇぇと初めて知る事やすっかり忘れている事が並んでいる。

慶応四年四月二十五日(旧暦)= 西暦 1868年 5月17日

となるので、同じく 5月17日の出来事で抽出して幕末あたりを見たところ、

1818年5月17日 (文化15・4・13) 伊能忠敬、没。74歳。
……(ほほーと思ったあと)

1867年5月17日(慶応3年4月14日)高杉晋作、没。29歳。

とあって、ウワッとのけぞるぐらい驚いて机の上の缶コーヒーを転がした。
飲んだ後でよかった……
高杉晋作のちょうどきっちり一年後に近藤勇が死んでいるとは。
いや知っている人は知っているんでしょうけど今まで知りませんでした(==;;)

1969年(昭和44) ソ連の惑星間ステーションの金星6号が金星に到着する。
1980年(昭和55) フロリダで白人警官裁判全員無罪への抗議集会、暴動。
1985年(昭和60) 男女雇用機会均等法が衆議院で可決成立。……などなど。

高杉晋作と近藤勇が死してから100年を超えたところでは金星が出てくる。
しかし、どんなに科学が進んだところで人間はあまり変わっていない、それどころか悪いほうに後退している面もあるように思われる。

「誰でもいいから」とばかり、本来は何の接点ももたずにすんだはずの人が次々と無残な犯罪の犠牲になり、人が人に死を課すという「死刑」は、どう考えても、「なければないのが一番良い」のだと思うが、しかし、その刑でなければならない、というほどの悪い事件がなくならない。

自分が不遇で或いは満たされないからといって何の理由もなく、他人の大切な家族の命を突如奪って、刑務所に入りたかった……とか、いう話を聞けば、近藤勇は何といって怒るだろうか。
幕末のある時期、新選組が存在したために命を落とすことになった人達も確かに少なくないはずだが、しかし、斬った・撃ったというやりとりが身近にあった彼ら隊士にすら、それは信じられない事ではないのか。

会津の古木の桜もそろそろ満開だろうか。近藤勇が鶴ヶ城を見る事はなかったけれども。ほんとに会津若松まで行きたかったんだろうか。
平和な時にしみじみと旅をするのなら良い所だけれども……
みちのくや蝦夷地までを転戦する近藤勇の姿はあまり想像がつかない。
京へ上り、破れて戻り、ついに関東の地を去らないまま死を得た。
ともあれ、今年も冥福を祈って迎える一日であります。


by 沖田総司 ¦ 00:41, Friday, Apr 25, 2008 ¦ 固定リンク ¦ トラックバック(0)


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