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2008年 6月1日
が、いつの間にか6月1日(旧暦)という事になっているそうで、それは研究家の釣洋一先生が沖田さんのごきょうだいの子孫(沖田総司に子供がいないとすると総司の子孫とはいわない)の間に伝わる、総司が生まれた日は昼間でも真っ暗だった、という話と「黒い子」と呼ばれていたという、まことしやかな伝説をもとに、総司生誕のころの「日食」のあった日を推定して6月1日ではないか?としたものが広まったということである。それがいつしか既成事実のように定着して釣先生ご本人がびっくり、だとか読んだ記憶があるが、そもそも数え年と陰暦を使う江戸時代の個人の誕生日や生誕伝説は後から周囲の都合のいいようになってしまうのだから意味がないし気にもしない。たとえ親類縁者にしたってどのくらいその人の思い出を正確に書き残したり語り伝えているかということははなはだ不確かというしかない。そういえば今年の誕生日、うちの伯母が覚えていて電話をくれてこっちが驚いたぐらいで申し訳ないが伯母ちゃんの誕生日を私は知らない(笑)
昔の暦に5月31日はないので、5月30日の命日の次が6月1日の誕生日ということになると大変奇遇でなにやらすごいような気さえするが、自分の誕生日に死んだ坂本龍馬もいる。
それよりも、池田屋が間近である。
「今年も討ち入りの季節がやってまいりましたぁ」
「その、今年も っていうのやめろよ」
これは、江戸むらさき特急という伝説の時代劇ギャグ漫画にでてきた忠臣蔵浪士たちのセリフ。思い出すたびに池田屋事件のことが連想されておかしい。幕末維新新選組の屯所にとっても、今年も池田屋の季節がやってまいりましたぁ、という感じである。倒幕が1年延びたか縮んだかはどうでもよく、ただの集団テロだの殺戮だのと新選組をおとしめることで相対的に維新志士の位置を持ち上げようと新選組ファンに空しい悪口を浴びせてわざわざ嫌われるという気の毒な人もどこかにはいることだろう。
「風光る」と「島耕作(主任編)」の最新刊を同じ日に読んだ。架空のキャラクターを描いて誰よりも長く続けているという一事だけでも作者の努力に敬意を抱く。愛着もあれば飽きもある、のが長寿連載かもしれない。事実をヒントにはしつつも中身が絵空事なのがマンガの面白さであり、マンガで正しい歴史を学ぼうなんて思ったらいかんというか読むほうは別にそこまで期待していないわけだが、しかし課長島耕作がとうとう社長になったことがニュースの対象になるというのはマンガの歴史を新たに刻んだわけか(笑)。そんなバカなという、ものすごく都合のいい展開とかもあって、ありえねーと思いながらも読んでしまうというのが面白い作品なのだろう。風光る、は巻が長く続くほど急激に失速していると感じたので、作者のいう「うちの総司」を最期まで描き終えることが出来るのかな……?というのが唯一の関心でもある。新選組マンガは途中で終わるというジンクスを破れるのか、それとも巻数と連載年月の長さで勝負、という新選組+回想のオムニバス形式でいつまでも慶応四年五月にならないまま続くのか。出てくる人が年表にそってきっちり死ななくてはいけないという事は全然なく、敵をあざむくため死んだ事にして脱出して、病気もセイの看護で奇跡的に治っちゃって幸せにいつまでも暮らすなんていうのもあってもよく、だってマンガですから(笑)。
考えてみれば沖田総司ぐらい何もしなかったのに有名になっちゃっている若者も少ないのだろう。時々記録に散見されるだけでご当人のコメントはあまりない。もちろん日記も手記もなければ口述筆記された回顧談もなく、いやあったら大変だが(笑)、逆に何もないから創りだせる、想像をかきたてられるのが最大の魅力だと解説した人もある。遠い人だから身近なのか。
「あいつ斬っちゃおうか?」
とサラッというのが壬生義士伝の沖田総司で印象に残ったせりふ、金子賢さんや堺雅人さんのような顔立ちの沖田であるのと、柄本明さんや竹中直人さんの顔立ちの沖田であるのとでは、おそらく後世の受け止め方はだいぶ違う(笑)。
ウカツな写真を残していないのが最大の魅力なのだろう……。
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幕末維新新選組
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