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2009年 2月23日

山南敬助逝く
文久三年末に新選組が大阪に出張の際、
船場の呉服店岩木枡屋に金策強談の為に浪士が乱入、
山南敬助が二名の部下を引き連れ出動し、
戦闘とあいなる。山南敬助らは賊を討ち取るが、
隊士らの刀は刃こぼれ多数。
なかにも山南の愛刀、赤心沖光は折られ血糊。
その戦いは隊内で賛辞され、刀の押型をとり
多摩に送ったほどである。

だが、その後に多摩から天然理心流の旧知数名が
京の屯所を訪問したが、山南は体調不良を理由に
面談を断った。
旧友に見せたくない状況に陥った可能性が否めない。
刀が折れて自分が無事な訳がないのである。
几帳面な山南が多摩への新年の挨拶状を遅れて
出す事などなかった、恐らく剣士としての重大な
致命傷を負ったのである。
そう推察すれば、以降の不可解な行動の停止や
自尊心の高い山南が面会拒否などが肯ける。

山南の行動が記されるのはあの有名な
池田屋事変ではなく、西本願寺屯所移転の
反対声明だけである。
新選組を毛嫌いする西本願寺の寺侍、
西村兼文は山南の末路を
「三南は憤激ノ余り一書ヲ遺シ丑三月下旬終二自刃二臥ス」
と記し脱走の記述はない。

山南は男盛りの年齢で剣士としても絶たれ、
実働主義の隊から浮き、鬱になったと考えられる。
その病が為に自らの命を絶ったのであろう。
西村の文にあったように自身の意見が通らず、
怒りを一書に書きなぐり自刃したと考える。
適正な判断が出来ないくらい病に追い込まれた。
近藤批判の自刃では隊内での影響が多大であり
公表するわけにいかず、かといって理由無き自刃では
故人の侍としての面子がない。
「脱走の罪は犯したものの、潔く非を認め
局長令により武士として見事な切腹を果たす」との形をとり、
武士としての尊厳を保たせその死を飾ったのであろう。

二月二十三日 試衛館長兄 山南敬助逝く。

by 土方歳三 ¦ 08:00, Monday, Feb 23, 2009 ¦ 固定リンク ¦ トラックバック(1)


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