伊達慶邦
だて よしくに

仙台藩主
 
文政8年9月6日、仙台藩第11代藩主伊達斉義の次男として仙台青葉城に生まれる。母は
 
佐竹壱岐守家臣七平敬勝の娘で藩主側室山本氏恒子(美屋)。幼名を穣三郎、藤次郎。初め
 
の実名を寿村。天保8年2月に世子(後継者)となり、翌9年2月14歳、将軍家慶の治世の
 
折、江戸城に於いて元服、慶寿と命名され従四位下侍従兼筑前守に叙任される。同12年9
 
月、将軍の命により義兄12代藩主斉邦の跡をうけ襲封、第13代仙台藩62万石の大名となり、
 
陸奥守、左近衛権少将に昇進。折柄天保の大飢饉の直後で、藩の財政は窮迫し、62万石の
 
経済を10万石の格式で賄わねばならずその状態のまま幕末期を迎えた。天保14年に慶邦と
 
改名、15年4月、近衛家の養女で関白鷹司家の娘備子(綱姫)を正室に迎える。嘉永4年12
 
月、左近衛権中将に昇進するが、翌5年1月には夫人が25歳で没した。安政元年2月従四
 
位上に任ぜられ、同3年4月水戸徳川中納言斉昭の娘孝子(八代姫)を後夫人に娶る。安政
 
6年正四位下に昇叙。
 
仙台伊達家は外様とはいえ、藩祖政宗以来奥羽随一の大藩である。隣国である会津藩は、
 
文久2年に京都守護職に就任して大挙上洛している。仙台藩主慶邦も、文久3年の将軍上
 
洛に先んじて入京し、いまや新しい政界の中心である京都に於いて勤皇の姿勢を見せよう
 
としたが、財政困難の為間もなく帰国を余儀なくされ、この為に以後は佐幕・勤皇両派か
 
ら不審を抱かれる。時節が移り、慶応4年には鳥羽伏見戦争による幕軍の敗退、会津藩主
 
の帰国と新政府軍による会津追討の令が出され仙台藩には新政府による奥羽鎮撫総督左大
 
臣九条道孝、下参謀世良修蔵らが派遣される。総督府は4月7日をもって慶邦に会津征討
 
を命じるが、藩内には薩長の策謀により朝敵の汚名を受けて前将軍慶喜が帰順した後の攻
 
撃目標とされた会津藩には同情論も強く、仙台は藩論不統一と準備不足を理由に言を左右
 
して兵を動かす事を渋った。長州出身の参謀世良が強硬に督促し、慶邦は1万4千の大軍
 
を率いて南下し、土湯口、石筵口など四口に布陣して交戦の形をとったものの、会津には
 
もとより貴藩に恨みはないから仙台藩兵の旗には目印をつけておくと藩士らが内応して、
 
戦意のない事を示していた。続いて庄内追討も命ぜられるが仙台藩は米沢藩と謀り、会津
 
救解・謝罪嘆願による不戦の道を模索しており、容易に膝を屈しない会津に再三働きかけ
 
降伏嘆願書提出に漕ぎ着け、仙・米両藩主名でも嘆願書を添えた。しかし世良は日頃から
 
仙台藩兵を「腰抜けども」と罵倒し、飽くまで会津藩主松平容保を「朝敵天地に入るべか
 
らざるの罪人」と鎮撫総督命令を発して仙台藩の努力を却下した為、藩内には激しい憎悪
 
の声が上がり、仙台藩本営のある白石に向かう途中の世良を福島城下の妓楼金沢屋で仙台・
 
福島両藩士が捕縛、阿武隈川で斬首し、白石城に首級が届けられた。新政府参謀殺しの罪
 
名は藩主慶邦にも及び、ここに至って仙台藩も新政府抵抗に加わらざるを得なくなる。や
 
がて上野寛永寺から奥羽会津へ逃れていた輪王寺宮を盟主に、総督を仙台藩主伊達慶邦・
 
米沢藩主上杉斉憲とする奥羽越列藩同盟が成立する。慶邦は家老片平大丞を名代として会
 
津入りしていた宮に謁見させ、仙台に戻った片平と執政但木土佐他の重臣を集め、自らも
 
欣然として珍しく祝杯を重ね、宮を仙台に是非お迎えしたいと漏らしたという。同盟は輪
 
王寺宮を東武皇帝とし慶邦を権征夷大将軍とする東日本の新政府構想にまで進んでおり、
 
仙台藩は激化する会津、越後の戦闘に自藩兵を大挙送り出して多数の戦没者を出すに至っ
 
た。しかし新政府の猛攻により同盟諸藩は次々と新政府への恭順と脱退を出し、長岡、会
 
津の敗色も定まり、榎本幕府艦隊の来航を受け入れていた仙台城下でも軍議が開かれる。
 
この時、慶邦は旧新選組副長で一時は同盟軍の新総督に推挙された土方歳三に自ら水色の
 
下げ緒を下賜して労っている。仙台では勤皇色が強いとして君側を退けられていた遠藤文
 
七郎らを復帰させ、遂に藩論は新政府帰順に決し、旧幕艦隊の蝦夷北上に際して薪炭等の
 
物資を寄贈した後は降伏の結末を迎えた。藩士の中には脱出して榎本艦隊に参戦した額兵
 
隊等の勇士もある。
 
慶邦は明治元年9月に官位を止められ、10月26日東京に謹慎。12月7日の特旨を以て伊達
 
の家名を継承し改めて28万石を賜る。同月12日、亀三郎(宗基)を継嗣とし13日に自らは号
 
を楽山と称して治世28年に及ぶ当主の座を引退した。晩年は東京に移住し、明治7年7月
 
12日に没す。享年50歳。豊島郡西福寺に葬られ、後に名取郡茂ヶ崎両足山大年寺に改葬。
 
神祭式のため法諡は受けない。
 
■ 御 家 紋 ■
 

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