土方歳三生家跡

京王線 高幡不動駅より 徒歩10分
現在は子孫(歳三は独身であったため、血筋の方)が住まわれている。
住居の一部が資料館となり、月に一度一般公開している。
しかしながら、実際にうまれた場所は石田寺の裏手にあり水害を
機に現在の場所に移った。
なお、土方資料館には愛刀和泉守兼定、鎖帷子、遺句集「豊玉発句集」など。
又、土方家伝来の石田散薬の薬箱、薬研、製薬の為の道具なども展示してある。
石田寺
高幡不動の末寺で、真言宗、愛宕山地蔵院石田寺。京王線高幡不動駅から徒歩で二十分。
または高幡不動〜立川駅行バスで「日野高校前」下車。道路沿いに案内が出ている。
JR日野駅〜高幡不動駅のバスは本数が少ない。高幡不動駅から、浅川に架かる新井橋
を渡る辺りは、昔の河原の様子を偲ぶ事が出来る。以前は畦道といった感のあった石田
寺へ向かう道も拡張され、付近はモノレール(至近は万願寺駅)の新設され開発が進んで
いる。近年新しく出来た山門をくぐり右手に墓地があり、「土方家」とつく墓が多いが、
土方歳三の墓には案内板があり、独立した墓域になっていて、右側中央にあるのが歳三
の墓だが当人は箱館で没しており無論遺骨はここにない。境内には明治百年(昭和四十
三年)を記念して建てられた「土方歳三義豊之碑」という顕彰碑と、樹齢数百年のカヤの
古木がある。歳三の戒名は「歳進院殿誠山義豊大居士」
高幡不動尊
真言宗、高幡山明王院金剛寺。成田、大山と並ぶ関東三大不動の一つで建立は平安時代
初期といい、不動像を始め重要文化財も多い。境内には近藤勇、土方歳三の事績を記す
「両雄殉節之碑」があり、会津藩主松平容保が題字を、幕医松本良順が本文を書いた。
歳三の墓がある石田寺は高幡不動の末寺である。高幡不動は土方家の菩提寺に当たり、
過去帳には歳三が箱館で贈られた二つの戒名が記載され、大日堂(鳴り竜)には近年、
歳三の位牌が安置された。また有志により平成七年に土方歳三の銅像が建てられている。
京王線高幡不動駅下車徒歩2分。最近は多摩モノレールの駅も出来ている。
小島鹿之助邸
東京都町田市小野路町九五〇番地

天保十三年十月に寄場名主の家として新築された。小島家では小島角左衛門、鹿之助親
子が天然理心流三代近藤周助に入門し、周助、勇親子が剣術指南に天保六年から文久二
年まで訪れている。屋敷は九百坪あり、母屋の建坪は九十坪あった。剣術の稽古は母屋
の前庭で行い、夜は宿泊して翌日、次の出稽古場に赴いた。昭和四十年に改築され、昭
和四十三年十一月から小島資料館として公開されている。当時の柱や上段の間などは、
そのまま残され、当時の面影を伝えている。小島家に剣術師範で訪れた人は、土方歳三
沖田総司、山南敬助がおり、一泊している人が多い。沖田は文久二年七月十五日の「小
島日記」に、小野路村の橋本道助宅で剣術を教えているときに流行の麻疹にかかり、馬
で布田宿(現調布市)へ送ったことが記されている。
日野宿本陣

土方歳三の義兄、佐藤彦五郎の代に建てられた日野宿名主屋敷。
歳三も青年時代は姉の婚家であるここに寄宿していた。かつては
敷地内に天然理心流道場があり、甲府出陣に至るまで新選組とは
ゆかりの深い場所である。江戸時代、この佐藤家で出した蕎麦を
蜀山人に称賛されたという逸話があり、その家屋を利用して
「日野館」という本格的な味の楽しめる蕎麦屋となっていたが、
近年は市に譲られ日野宿本陣として一般公開されている。(有料・月曜休)
八坂神社
日野市日野本町三丁目十四ノ十二

JR日野駅から徒歩三分。日野宿の氏神で、以前は牛頭天王社といった。祭神はスサノ
オノミコト。安政五年秋、佐藤彦五郎や井上源三郎など日野の天然理心流門人が額を奉
納し、そこには島崎勇(後の近藤勇)、沖田惣次郎(後の総司)らの名も記された。
額についている木刀はバットのように太く、こうした木刀を振る事で鍛えた同流の強さ
の一端がうかがえる。

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