久世広周
くぜ ひろちか

下総関宿藩主
 
文政元年生まれ。旗本大草高好の三男。阿部正弘の実弟。下総関宿藩主。
 
久世広運の養子となり、天保元年、五万三千石を襲封。従四位下隠岐
 
守、出雲守、大和守。
 
嘉永4年、老中となったが、安政5年に免職となる。
 
安政7年、井伊大老の横死後、安藤信正の要請で再び老中に就任し、
 
一万石を加増される。
 
幕閣では、公武合体を進め、皇女和宮の将軍家降嫁に御縁組御用掛と
 
しての役割を果たした。
 
また、長州藩の長井雅楽の京都入説の後押しなどの公武合体運動に
 
参加したが、安藤信正の失脚後、文久2年に辞職する。在職中に失政が
 
あったと、加増の一万石は没収され、永蟄居を命じられた。
 
元治元年6月25日、46歳で没する。墓は江戸谷中本妙寺。
 
その子広文は戊辰の役に佐幕派家臣団に担ぎ出され、上野山の幕府
 
脱走兵に組した。
 
■ 御 家 紋 ■
 

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