慶応四年(1868年1月25日〜1868年10月22日)
明治元年(1868年10月23日〜1869年2月10日)
1月 3日 肥後藩士池部宗右衛門・桜田惣四郎、新選組等に伏見退陣を勧告する。
同日 鳥羽伏見の戦いが勃発し、新選組は伏見市中に戦い、幕軍が破れて淀方面に退却する。
同日 小幡三郎、潜入中の薩摩藩邸を脱し、会津砲兵隊に合流する。

4日 新選組、淀城下に着陣。

5日 千両付近の戦いで井上源三郎ら10数名が戦死し、橋本まで退却する。

6日 橋本の戦いに敗れ大坂に退却し、新選組は八軒屋の京屋忠兵衛方に宿陣する。

7日 新選組、大坂城に入るが、火災の為京屋に戻る。

8日 新選組、木津川口に碇泊の船中に宿泊する。これは負傷隊士の一行と思われる

9日 永倉ら可動隊士は順道丸に乗船して天保山沖を出航する。

10日 近藤・土方及び負傷隊士乗船の富士山丸が出航し、兵庫沖に碇泊する。

11日 富士山丸、兵庫沖を出航し、紀州由良港に碇泊する。
同日 隊士小田数馬、大坂天満橋下にて斬殺され橋上に梟首される。

12日 富士山丸、由良を出航する。
同日 順動丸、品川入港。下船の隊士は釜屋に宿陣する。

13日 近藤に登城命令が出される。

14日 富士山丸、横浜に入港し、負傷者は病院に収容される。

15日 富士山丸、品川に到着。近藤・沖田は和泉橋医学所に向かう。土方も同道。
同日 横浜の入院の費用として介抱世話役の島田魁、100両を受領する。

16日 近藤・土方、江戸城に登城。城中で佐倉藩士依田学海より鳥羽・伏見の 戦いについて尋ねられ、土方はもはや刀槍の時代ではないことを語る。

18日 佐藤彦五郎・粕屋良順、近藤と面談して新選組の動向を聞く。
同日 土方、会津藩より2000両を受け取る。
同日 釜屋宿陣の隊士に手当てが支給される。

19日 斎藤、医学所で治療を受ける。

20日 鍛冶橋門外の秋月右京亮元役宅が、新選組の屯所として用意される。

22日 会津藩兵と新選組の負傷者に対し、幕府より慰問品が贈られる。

23日 釜屋の隊士、秋月邸に移る。

26日 負傷隊士27名、医学所に入る。
同日 横浜の隊士に手当てが支給される。

27日 大町綱太郎ら負傷者28名、医学館に引き移る。
同日 横浜の隊士に手当が支給される。

28日 入院隊士以外の秋月邸移転が終了する。
同日 近藤、横浜病院に赴く。
同日 長州藩兵、東本願寺に置き去りの新選組の武器を接収する。
2月 1日 岸島芳太郎・尾関雅次郎、横浜を訪れ、負傷隊士に和泉橋医学所への移送を伝える。

2日 負傷隊士、横浜を出航し品川に泊まる。

3日 負傷隊士、医学所に入る。
同日 新選組、幕府より300両を受領する
同日 新選組、元込め銃5挺を購入。

7日 近藤、加療の為に横浜へ赴く。

10日 近藤、尾関の迎えにより横浜を出立する。

12日 近藤、登城。徳川慶喜の警護を下命される。

13日 慶喜、上野寛永寺で謹慎生活を始める。
同日 京都光縁寺に埋葬の伊東らの遺骸、同志により戒光寺墓地に改葬される。

15日 新選組、慶喜の警護を開始。
同日 医学所入院の負傷隊士に手当が支給される。

17日 隊士3名、甲州へ出立する。

25日 慶喜の警護終了。
同日 近藤、金地院に赴き養父周助の墓参を行う。

27日 大石鍬次郎、甲府へ出立する。
同日 幕府より甲州出陣の軍資金2400両余りを受領。
同日 松本良順に負傷隊士の治療費として100両を支払う。

28日 新選組、甲州鎮撫を命じられ、隊士に出陣手当を支給する。

29日 会津藩と松本良順より軍資金4200両を受け取る。
3月 1日 新選組、浅草の弾左衛門の配下を加え、甲陽鎮撫隊として江戸を出立する。 近藤は大久保剛(のち大和)、土方は内藤隼人を名乗る。内藤新宿に宿陣。

2日 日野の佐藤家にて休息し、ここで佐藤彦五郎の率いる春日隊が合流。八王子に宿陣。

3日 与瀬に宿陣。

4日 駒飼に宿陣し、新政府軍の動向を探る。先発の大石鍬次郎、甲州方面より戻って合流する。
同日 新政府東山道軍、甲府入り。

5日 勝沼に布陣し、地理嚮導役の結城有無之助、近藤の命により村々の名主に回状を出す。 土方、援軍を求めて江戸に向かう。

6日 早朝、土方、早駕籠二挺で日野宿を通過。
同日 柏尾にて戦闘開始。甲陽鎮撫隊、新選組隊士加賀爪勝之進と上原栄作が戦死し、 江戸へ向けて敗走する。

7日 隊士桑原某、小島家を訪れる。

8日 朝、土方、早駕籠二挺で江戸より日野宿を通過する。
同日 甲陽鎮撫隊、八王子まで敗走し、同所にて近藤、人見勝太郎と出会い、土方も合流する

9日 夜、甲陽鎮撫隊、日野を通過。

10日 甲陽鎮撫隊、江戸に戻る。

11日頃 永倉新八・原田左之助ら、新選組と決別して靖共隊を結成する。

12日頃 負傷隊士等20数名、久米部正親を長として会津へ先発する。

13日 夜、新選組隊士48名、五兵衛新田の金子健十郎宅を訪れ宿泊する。

14日 近藤、隊士10名と共に金子家に来着。

15日 土方、隊士4名と共に金子家に到着する。

16日 隊士3名、金子家着。以後、25日まで連日のように隊士が訪れ、総員169名を数える。
同日 勝海舟配下の軍事方松浪権之丞、金子家を訪問。

17日 同じく吉沢大助、金子家を訪問。

18日 隊士、屋形舟で今戸へ出張する。

19日 会津藩士兼川直記、金子家を訪れる。

24日 松本良順、関東郡代佐々井半十郎の五兵衛新田潜伏を要請する書簡を携えて金子家を訪問。

27日 会津藩士数名、金子家を訪問する。

29日 近藤、佐々井半十郎に流山移転を通告する書簡を送り、佐々井は五兵衛新田潜伏継続を 重ねて要請する返書を送る。
4月 2日 新選組、流山に転陣する。総員227名。

3日 流山の陣屋を新政府軍に取り囲まれ、近藤は投降を決意する。 近藤、野村利三郎・村上三郎の同道を許されて越谷に連行される。
同日 土方、相馬主計ら2名と江戸に潜入する。

4日 近藤、板橋の新政府軍本営に連行される。
同日 流山の新選組、武装解除して会津に向かう。
同日 土方、勝海舟と面談して近藤の助命を図る。
同日 島田魁夜半に江戸潜入。今戸で土方と合流する。以後、江戸市中に潜伏を続ける。

5日 相馬主計、勝の書簡を板橋総督府へ持参するが、没収の上捕縛される。

10日 土方以下、今戸に移る。

11日 江戸城、新政府軍に引き渡される。
同日 土方、島田魁・漢一郎・中島登・畠山芳次郎・沢忠助・松沢乙三 と共に鴻ノ台の旧幕脱走軍に合流し、前軍参謀に選出される。

12日 土方、会津藩士秋月登之助と共に前軍を率いて進軍し、小金に宿陣する。

13日 前軍、布施に宿陣。
同日 天然理心流門人福田平馬、勝海舟を訪ねて近藤の助命を依頼する。

14日 大鳥圭介の率いる後軍、山崎に宿陣する。原田左之助、同地で靖共隊を離れ江戸に向かう。

15日 前軍、水海道に宿陣。

16日 前軍、宗道に宿陣し、下妻藩に島田魁ら4名を合兵の使者として派遣し、 10名の藩士を従軍させる。

17日 土方、下館藩に出陣して兵糧を供出させる。

18日 前軍、蓼沼に宿陣。

19日 前軍、宇都宮城を攻撃し攻略に成功する。この戦いに土方、 脅えて逃亡しようとした従者を斬る。

20日 後軍、鹿沼方面より宇都宮に転進して前軍と合流を果たし、宇都宮城に入城する。

21日 旧幕軍、壬生城攻撃の軍議を開く。

22日 旧幕軍、壬生城攻撃に出陣して安塚で戦うが敗走する。土方の参戦は不明。

23日 土方、新政府軍の宇都宮城奪還戦に足指に負傷し、 やはり受傷した秋月登之助とともに護送されて今市に下る。 夕方、旧幕軍、敗北して宇都宮城を放棄する。

24日 土方、中島登に命じて日光在勤の土方勇太郎を呼び寄せ、 斬殺した従者の墓碑建立を依頼する。正午頃、土方・秋月の一行、会津へ 向けて出立する。

25日 近藤、板橋で斬首され、三日哂となる。
同日 流山脱出の新選組本隊、赤津に宿陣。

26日 土方一行、田島陣屋に至る。

28日 板橋で晒された近藤の首級が京都へ送られ、宮川勇五郎ら首なし遺体を発掘するという。

29日 宮川勇五郎ら、近藤の遺体を菩提寺の龍源寺に埋葬するという。
同日 田島陣屋で秋月と別れた土方一行、会津城下七日町の清水屋に投宿し、 流山脱出の新選組本陣と合流する。
閏4月 5日 山口二郎こと斎藤一を隊長とする新選組、白河方面出張に際して容保に拝謁する。

6日 新選組、若松を出陣して赤津に宿陣。

7日 新選組、三代に転陣する。
同日 近藤の首級、京都着。

8日 近藤の首級、三条河原にて10日朝まで晒される。

21日 新選組、白河城に出陣する。

22日 城下に宿陣する。

23日 新選組、白坂関門を守備する。

25日 新政府軍の白河攻撃に菊地央が戦死する。 御陵衛士から薩摩軍斥候となっていた竹川直枝こと清原清も戦死。

29日 新選組、白坂関門の守備を仙台兵と代わり白河の本陣柳屋に休陣する。
5月 1日 新政府軍の白河攻撃に新選組は黒川で応戦する。伊藤鉄五郎が戦死し、勢至堂まで敗走する。

2日 勢至堂より三代に転陣する。

6日 元隊士矢田賢之助、靖共隊士として今市の戦いに戦死。

15日 上野戦争勃発、靖共隊を離れた原田左之助、彰義隊に加わって受傷する。

17日 原田、神保山城守邸にて死亡。

26日 新選組、白河奪還戦に敗れて上小屋まで敗走する。

27日 新選組、会津遊撃隊と合して大谷地から白河口に進撃するが敗北し、巻ノ内まで敗走する。 同所にて数日休陣。島田、受傷の為、福良病院に入る。

30日 沖田総司、療養先の千駄ケ谷にて病死する。
6月 6日 新選組、福良より大平口に出陣し、羽太に休陣する。

12日 新選組、白河奪還の為大熊川に出撃するが、羽太まで敗走する。

15日 土方、若松城で覚王院義観に面会する。
7月 1日 新選組、羽太より出陣し天神山まで攻め込むが羽鳥に敗走しやがて福良に移動する。

6日 土方、福良へ出張して近藤芳助のもとを訪れ、町守屋への出陣を命じる。

7日 新選組、長沼で休陣。

29日 新選組、会津軍・旧幕伝習隊と合して郡山移転の為の人馬の手配を行う。
8月 1日 二本松藩の恭順により、土方は秋月登之助とともに新選組・伝習第一大隊 回天隊を率い、三代・中地・船津に引き揚げて休陣する。

5日 新政府軍に捕縛されていた相馬主計、陸軍隊に合流して輪王寺宮より金子を下される。

17日 靖共隊と伝わる松本喜次郎、三代にて死亡し新選組隊士として葬られる。

18日 新選組、二本松方面出陣の為、湖南より猪苗代城下に移動して宿陣する。

19日 新選組、会津軍・旧幕諸隊と共に母成峠に出陣する。
同日 榎本艦隊、品川沖を出航。

21日 母成峠の戦いに敗れ、加藤定吉・漢一郎・木下巌・小堀誠一郎・鈴木練三郎・干田兵衛が戦死し 猪苗代に敗走する。
同日 夜、土方は湖南方面の会津軍に猪苗代進撃を乞う書簡を送る。

22日 土方、滝沢本陣に踏みとどまり新政府軍を迎撃する。また新選組は天寧寺に敗走して宿陣。

23日 土方、援軍を求め大塩に至り、大鳥圭介に新選組を託して米沢へ向かう。
同日 新選組、塩川に宿陣する。

25日 土方、米沢に達する。

27日 旧幕海軍の旗艦開陽丸、仙台湾東名浜に到着する。 旧幕海軍の6艦は24日より翌月5日に駆けて仙台湾に結集した。
9月 1日 元御陵衛士の佐原太郎、京都下寺町で死亡する。

3日 土方、榎本武揚とともに仙台城での奥羽列藩同盟の軍議に出席し、榎本より総督就任を推挙される。

5日 会津に在留した斎藤一らの新選組20名余、高久村の如来堂守備中を攻撃され壊滅状態となる。 全滅とされるが、斎藤の他、志村武蔵らの生存が確認されている。

8日 明治と改元される。

9日 新選組および旧幕陸軍、小田付を出立して白石に向かい土湯に宿陣する。

11日 新選組及び旧幕陸軍、土湯より烏渡に進み宿陣。

12日 福島を経由して桑折に宿陣する。
同日 榎本・土方、登城し仙台藩の主導権を握った恭順派と面談するが決裂。

13日 新選組及び旧幕陸軍、旧幕海軍の到着を知り仙台行を決する。

14日 新選組及び旧幕陸軍、白石城下に宿陣する。

17日 桑名藩隊の17名、松平定敬の蝦夷渡海に同行する為新選組に入隊する。

19日 旧幕陸海軍、仙台より木舟に移動する。

20日 旧幕軍、松島に移る。
同日頃 松山・唐津の両藩士、板倉勝静・小笠原長行の渡海に同行する為新選組に加入する。
同日 土方、便面亭で旧幕臣の杉浦清介と面談。

22日 会津藩降伏。
10月 4日 会津如来堂脱出の久米部正親・吉田俊太郎・池田七五三之助・河合鉄五郎ら、銚子で 高崎藩兵に捕らえられる。

9日 旧幕軍、折ノ浜に移動し土方は物資輸送の指揮を取る。

10日 新選組、伝習士官隊等とともに大江丸に乗船する。

11日 新選組、大江丸艦内に宿泊。

12日 旧幕艦隊7艦、蝦夷に向け出帆する。

13日 旧幕艦隊南部宮古湾に入港して兵糧・薪水を補給する。

17日 宮古湾出航。

19日 旧幕艦隊、順次鷲ノ木沖に集結する。

20日 旧幕軍先陣、鷲ノ木浜に上陸。

21日 本隊、上陸を開始する。

22日 新選組、大鳥圭介の指揮下となり、峠下経由で本道を五稜郭に向かう。 土方は額兵隊・陸軍隊を率いて川汲峠より間道を五稜郭に向かう。

23日 旧幕軍先陣、峠下で新政府軍の攻撃を受けるが、大鳥軍の加勢により打ち破る。 同日 土方軍、鹿部に宿陣。

24日 七重村の戦いにより、三好胖・小久保清吉らが戦死する。
同日 土方軍、川汲温泉場にて小戦。

25日 新選組、大野に移り休陣する。
同日 土方軍、湯ノ川に到着。

26日 大鳥・土方両軍、五稜郭に入城する。

28日 土方を総督とした松前攻略軍が出陣する。

30日 新選組、市中取締りを下命され、箱館市中の称名寺を本陣とする。
11月 1日 新選組、市中巡察を開始。
同日 土方軍、尻内で小戦して宿陣する。

5日 土方軍、松前城を攻略し城下に宿陣。

6日 土方軍、松前城内と城下に滞陣する。

11日 土方軍、江差に向けて出陣。

13日 土方軍、大滝の敵を撃退する。

14日 開陽丸、福山に入港。

15日 開陽丸、海上より江差を攻撃し、土方軍先鋒、江差に入る。
夜 開陽丸座礁。救援の神速丸も座礁する。

16日 土方、江差に着陣。

17日 二股口経由の一聯隊、熊石に進攻する。

18日 土方軍、守備兵を残して松前に帰陣する。

29日 新選組に松前出陣の命令が下されるが中止となる。
12月 5日 新選組、五稜郭に詰める。

15日 土方軍、松前より箱館に凱旋、蝦夷地平定を祝して、各国領事を招いて祝宴を催す。 この日、士官以上の投票により箱館政府閣僚を選出し、総督に榎本、陸軍奉行並に土方が 就任するが、選挙実施日については22日、28日とする記録もある。

29日 土方、青森より渡航の桑名藩家老酒井孫八郎と面談する。
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