周布政之助
すふ まさのすけ

長州藩家老
 
文政6年3月23日、萩藩士の子に生まれる。名は兼翼、晩年は麻田公輔を称した。
 
萩藩の重臣として早くから国事に奔走し、村田清風の直系としてその志
 
を継いで藩政改革に尽力し、政務役として活躍する。
 
尊王攘夷を推進し、吉田松陰、高杉晋作らの急進派に理解を示す。また、
 
宇和島藩や幕府に流出しかけていた村田蔵六を、桂小五郎とともに
 
長州に呼び戻す根回しなども行った。
 
元治元年、藩の実権がいわゆる俗論派の坪井九右衛門、椋梨藤太らに
 
握られ、これらと対立し、蛤御門の変、四国連合艦隊の来襲などの後、
 
急速に力を失い、藩内動揺のさなか、元治元年9月26日、山口で自刃した。
 
享年42歳。墓は山口県大津郡三隅にある。
 
■ 御 家 紋 ■
 

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