慶応二年、倒幕派集合写真


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中央右上の外国人は、フルベッキー氏。
中央の白い着物を着ていらっしゃる人物は明治天皇。

この写真は日本のとある旅館で現在公開されているものです。 また、この写真は明治28年に一度紹介されたらしいのですが、 強い圧力によって公開されなかったそうです。そして その圧力として考えられるのが、
  1. 現人神の明治天皇が一般人の志士達と共にいるのは非礼である。
  2. 勝海舟をはじめ、この頃幕臣と言われる人々が旧幕臣らに、 裏切り者として狙われる可能性があった。
  3. これらの写真に写っていない人々が、写真公開によって   軽く見られるおそれがある。
などが挙げられています。 そのためこの写真は長年の間、佐賀藩の学生の写真として 処理されてきたそうです。また、なぜ彼ら有名人が一同に会せる 事ができたのか、については当時幕府は、討幕を企てる長州藩への 征伐や、参勤交代の復行、三条実美ら五卿の江戸移転等の強硬命令を 次々に発表した。これに対し、討幕側の薩摩藩、西郷隆盛がこれらの 事件に対処するとともに討幕を推し進め王政復古を図るために、 各藩の勤王党の連合を計画し、表向きは英語や西洋学問の指導者 である宣教師たちへの謝恩の会を開くという名目で、長崎への集結を 呼びかけたものであるらしいです。また、そこでこれだけ集まったの だから記念写真をという事で撮影されたのがこの写真です。 なぜあの写真が志士の集合写真と言われるようになったのかは西郷 研究家の人が、西郷の書いたフルベッキの訪問の記録から1865年に 撮影されたものだと推測して一人一人画像的に考察していき、西郷 他の志士の集合写真として発表したからのようです。ちなみに、 撮影したのは坂本竜馬や後藤象二郎を写した事もある「上野 彦馬」 です(当時、上野写真館店主)


解説文を引用

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