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11月19日早朝
四遺体が朝霜で血糊が凍りついた状態で放置されていた。
現場には手指・肉片・血痕・毛髪が飛び散った惨い惨状である。
遺体は高台寺党「伊東甲子太郎」「藤堂平助」 「毛内有之助」「服部武雄」の四名。
18日未明にこの場所で私闘があり住民らが騒ぎを聞いていた。
伊東甲子太郎率いる15名が新選組から分離し
東山高台寺に屯所を置くこととなり
市井は新選組と何時乱闘が起きるのかと危惧していた。
それが現実的に寒風吹き荒れる18日に乱闘が起きたのである。
遺体は数日放置されていたが、高台寺党らは遺体の引き取りに
現れずに、新選組が引き取って光縁寺に埋葬した。
のちに残党は沖田総司襲撃未遂事件・近藤勇襲撃事件
偽官軍相楽事件などゲリラ事件に係わる事となる。 |
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» 寒月油小路 [ぶろぐ 幕新日誌から] × と、いう題である文を書いたことがある。現在の11月15日(坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺)および3日後の11月18日 油小路事件(伊東甲子太郎と配下の暗殺)は紅葉前線が日本の地表を撫でてゆく秋の盛りであるが、旧暦の時には、殺されて路上にさらされた衛士達の着物や側溝の水 .. ... 続きを読む
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