佐久間順 
 さくま じゅん 

 
 
  天保7年、旗本小普請組勝小吉の娘、勝海舟の実妹として生まれる。  

  嘉永5年、17歳の時、42歳の佐久間象山に嫁いだ。象山には二人  

  の妾、お菊とお蝶がおり、お菊の子格二郎と三人同じ家に住んでいたが、  

  お菊が子をおいて幕府御殿医高木常庵の後妻に行ってしまい、その  

  三ヵ月後にお順を正妻としてむかえた。佐久間象山は、漢学、洋学の  

  当代一流の学者であり漢詩、和歌、書、絵もうまく、琴笛の音曲も好きで、  

  剣術、馬術、砲術他あらゆる時代の先端を行く知識があり、お順はそれ  

  に夢を抱いていたとも考えられる。  

  結婚一年三ヶ月後、吉田松陰が鎖国の禁を破ったとして捕らえられ  

  たとき、師である象山も伝馬町の牢に繋がれた。半年後出獄と共に  

  象山は蟄居を命じられ、錠前付きの駕籠で江戸から松代に送られる。  

  お順は、姑と妾のお蝶、格二郎を伴い、駕籠のあとに付いて歩いた。  

  象山はお順より四歳年上のお蝶に順を正妻として立てるように命じ  

  お蝶は快くこれに従い、二人で格二郎を育てながら、象山を助けたと  

  いわれている。象山が蟄居を許されるまでの九年間、姑の死を送り、   

  松代で静かに時を送るが蟄居を解かれると、父亡き後病気に臥せって  

  いた母のいる江戸へ帰った。この後将軍の命により象山は、お順に  

  会う間も取れず、木曽路を京へ上った。  

  元治元年、夫の象山は肥後の河上彦斎に暗殺されるが、お順は夫の  

  側室の子格二郎に仇討ちを期待し、兄勝海舟の周旋で会津藩士山本  

  覚馬を通じて新選組に預けた。しかし新選組隊内でも格二郎の評判  

  は悪く、隊を逃亡する。口惜しがったお順は、山岡鉄舟門下の剣客  

  村上政忠に嫁ぎ、象山の仇討ちを願う。しかし村上は動かず、ついに  

  あきらめたお順は、村上と離婚した。後、名を瑞枝と改め、兄海舟の  

  邸に身を寄せた。  

  上野戦争の時、海舟を官軍が襲った際、お順は家人の狼狽をたしなめ  

  隊長を説得して事なきを納めたという。  

  その後、お順は養女貞子を結婚させ安穏に暮らしたといわれる。  

  明治40年、73歳で没。墓は、東京都新宿区牛込赤城元町清隆寺。  




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