坂本乙女 
 さかもと おとめ 

 
 
  天保3年1月1日、土佐藩の町人郷士、豪商才谷屋の分家の坂本八平と  

  幸の三女として生まれる。身体が大きく背も六尺近くと高く「お仁王様」  

  のあだ名で親しまれていた。  

  病弱であった母が亡くなってからは、母親代わりに三歳年下の末の弟  

  竜馬の世話や鍛錬につとめた。乙女は若い頃から裁縫や家事よりも  

  武芸が好きで、剣術は切紙の腕前、馬術、弓術、水泳までも得意とし、  

  また琴、三味線、一絃琴、舞踊、謡曲などの遊芸にも秀で、経書、和歌など  

  もたしなむ文武両道の女傑であったという。  

  幼い頃泣き虫であった竜馬は、この姉の薫陶を受け、立派な青年となる。  

  安政3年、典医岡上樹庵と結婚し一女をもうけるが、家風の相違から  

  数年後離婚し、実家に戻りのびのびと生きたといわれる。  

  竜馬が上京してからもよき理解者として、竜馬が国事に奔走するのを  

  力づけ励ました。乙女は自分も国事に尽くそうと上洛を望み、竜馬の  

  むかえの便りを待っていたが、竜馬は暗殺され志を果たせなかったと  

  いう話がある。  

  晩年は独と改め、養嗣子坂本直寛に養われた。明治12年、コレラ禍で  

  壊血病にかかり、8月31日、48歳で急逝する。墓は、高知市丹中山。  




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