お 登 勢 
 お と せ 

 
 
  大津の旅館主大本重兵衛の次女または、米問屋の娘として、文政  

  12年頃生まれる。18歳で伏見の船宿寺田屋六代目伊助に嫁ぐ。  

  一男二女をもうけるが、放蕩物であった夫は35歳で亡くなる。  

  お登勢はほぼ一人で家業の船宿を経営していた。寺田屋の三十石  

  船は他よりも多くの船頭で漕ぐため船足が速く、評判が良かったと  

  いう。またお登勢の唯一の道楽は人の世話をすることだったとい  

  われ、自分は芝居を見に行く間もなく、子にもかまってられない  

  ほどに忙しいのに、人から頼むといわれるとどんなことでも喜ん  

  で引き受け、棄子までも育てたという話が残されている。特に勤皇  

  の志士を献身的に庇護し、奉行所からにらまれて入牢されそうに  

  なったことさえある。坂本竜馬と寺田屋の手伝いにきていたお龍と  

  の間を見守った話は有名である。  

  文久3年4月23日、薩摩藩士有馬新七らが藩主島津久光の命  

  により、奈良原喜三郎らに上意打ちされた「寺田屋事件」がおこった。  

  その時お登勢は慌てず、落ちついて幼い娘をかまどに隠し、女将と  

  して帳場を守り、事後も手際よく使用人を動かし、血だらけの畳や  

  襖を新品にかえ、天井や壁の血痕もひとつ残らず拭き取り、直ちに  

  営業できるように整えたという。豪胆かつ細心な女性であったこと  

  を勝海舟らも評している。  

  明治10年9月7日没。享年48歳。墓は京都市伏見区玄宗寺。  




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