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寒月油小路
と、いう題である文を書いたことがある。
現在の11月15日(坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺)および3日後の
11月18日 油小路事件(伊東甲子太郎と配下の暗殺)は
紅葉前線が日本の地表を撫でてゆく秋の盛りであるが、
旧暦の時には、殺されて路上にさらされた衛士達の着物や
側溝の水が血の色に染まりバリンバリンに凍っていた、などと
いう談話が残るほどであるから、冬である。
旧暦15日は満月とすれば、18日の月も充分に
明るかっただろう。

わずか3日前に坂本の暗殺があり、御陵衛士はその犯人を
新選組だと「偽証」しておきながら、単身で近藤勇との
夜間面談に向かうというのは伊東はどういう人なのか、
さっぱりわからない。なぜこの時期の伊東に独り歩きを
させるのか、側近たる衛士たちの心中もよくわからない。
危ないだろう、どう考えても。伊東は槍で刺されつつ応戦し、
「奸賊ばら」と一喝して絶息した事になっている。
幕臣(厳密には大政奉還後なので微妙だが)である新選組から
みれば諜報しきりの伊東を「奸賊」と呼ぶ立場なのだろう。

呼び出されて遺体引取りに向かう御陵衛士、
行けば新選組が待ち受けると知っていて逃げなかったのは
立派なもの。
服部はさすがに真綿でくるんだ鎖を着込んでおり、
最後まで大奮闘した。
江戸で近藤勇の飯を食い、新選組草創の幹部でありながら、
もと師匠の伊東に執心して分裂の因を作り新選組最大の
裏切り者でもある若き藤堂平助は、ひそかに逃がしてやろうと
いう一部の古馴染みの意図を蹴り、結局は戦って死んだ。
毛内は五体バラバラとまでいわれる切り刻まれたさまになった。
「鎖着込みをつけていけば死んだあと卑怯と笑われるから
着なかった」などと回顧しているナンバーツーの篠原と、
伊東の弟の鈴木三樹ら四名は、囲まれた時から
いち早く脱出。薩摩藩邸は当初は拒んだものの受け入れ、
その後残党は病気療養の沖田総司を襲い(未遂)、
馬上の近藤勇を銃で撃ち、非戦闘員の馬丁を
斬殺したりしている。
どちらが卑怯というよりも……血の抗争にはきりがない。
新選組が好きな人にとっても、両派の内紛、暗闘は結局
それぞれの主将の死後、明治まで尾を引く事になるのだから
心重い一面であろう。

さて事件後の19日、薩摩の大久保利通は岩倉具視に
「新選組は油小路でも暴挙を重ね、坂本暗殺の犯人に
違いないとますます確信が強まったので、
いずれ崩壊する」と手紙を書く。
一連の新選組内部崩壊を望んだのは誰か?
同時に坂本に死んでもらいたかったのは誰か?
薩摩もあれこれ自分たちでやっといて空々しい……の
一言である。

池田屋の時と違い、京の町を護るという大義に
身の熱くなる事もなく、
かつて顔を見知った手だれ揃いの幹部連との
屋外決闘に出動して待ち伏せなければならない
新選組の一般の隊士達は、さぞ寒かった事だろう。
正直に、なんで俺らが……という気持ちも
恐怖もあったろう。
ズタズタになるまで斬りさいなまれた衛士の遺体を
死後3日めまで路上に捨て置き残党を待つが、
これではひどいと言われて壬生に葬った。
のちの「官軍サマ」が各地で賊軍の死体にした仕打ちを
見れば、逆にまだ丁寧ではないかとさえ思うが。

馬鹿馬鹿しいことに、新選組幹部が油小路で
藤堂平助の顔を見ると誰も斬り合わずに逃げ回り、
決闘が終息した頃になって
のこのこと現場に走って来た近藤勇が、
「平助ぇぇ〜」といって藤堂のなきがらを抱きしめ、
今戦った新選組隊士皆の前であられもなく子供の
ように号泣するなどというドラマが、近年は平気で流される。
かつての同志とはいえ、みずから敵にまわった一人だけを
気の毒がってわぁわぁ泣くような局長のもとに、誰が
戦ってくれるか、御陵衛士との実戦で死傷しているかと思う。
いくらフィクションったって青春マンガではないのだ。
ああいうありえない事を子供達の見るドラマで
やってはいけない。

油小路で御陵衛士を壊滅に追い込んだのもつかのま、
戊辰戦争に突入して今度は新選組隊士達があっという間に
次々と最期を迎える。
井上、山崎、吉村が鳥羽伏見で。
近藤勇は翌年4月25日に斬首。
原田は彰義隊で。
近藤の遺品というべき「新選組」の名を残しながら
自らは隊を離れ、土方歳三は明治2年5月まで生きる。

油小路事件の日はある人の命日でもあり、墓参には
いかぬまでも毎年追悼の念は抱く。
若い死は一様にやはり寂しい。
ご冥福をお祈りいたします。



by 沖田総司 ¦ 00:28, Wednesday, Nov 19, 2008 ¦ 固定リンク ¦ トラックバック(1) ¦ 携帯

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