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12月に入り、本格的な冬の寒さを感じると共に、 年末年始へのカウントダウンも近づいてきました。 12月8日、1941年のこの日は、 太平洋戦争開戦の日、並びに、真珠湾攻撃の日です。 この時、日本はすでに、中国と交戦状態にありました。 というのも、日本軍は中国の満州を占領するため、 1931年に満州事変を起こします。 内容は、満鉄線という鉄道を日本軍が爆破し、 それを中国軍の攻撃として、「反撃」しました。 この時、満州全土を日本軍は占領し、 満州を独立国と主張しましたが、 国際連盟に承認されず、日本は連盟を脱退。 国内でも、総理大臣や政府高官が軍人に殺されるといった クーデターが勃発し、これによって、軍人が総理を 担うことになり、政権を完全に乗っ取ります。 もともと濃かった軍国主義が、さらに極濃になりました。 日本はその後、中国大陸進出を進めるために軍を動かし 日中戦争が始まります。中国はこの頃、国民党と 共産党が対立し、内乱が起こっていたからです。 これを好機とみたのでしょう。 このころ、日本はドイツ・イタリアと同盟を結びます。 理由ですが、現時点で戦っている 中国を支援する国がいたからです。 それはアメリカ合衆国で、この当時アメリカは、 後に自分たちの弊害ともなるであろう、 日本の中国進出を恐れていました。 日本がアメリカと対立するなれば、 それなりの仲間が必要と考え、 ヨーロッパで快進撃を続けているドイツに、 牽制してもらおうと考えたのです。 (ドイツは全くの逆で、日本に、現在自分たちが対立している ソビエト連邦を、東から牽制してもらおうと考えたのですが、 日ソは不戦条約を結びました(笑)) ここで困ったのはアメリカ。中国の背後に立って日本を 威圧するはずが、かかってこいよと出られてしまいました。 そこでアメリカは、日本に対して経済制裁を行ないます。 日本が不足としていた、石油の輸出を禁止。 これに呼応して、イギリス・オランダもアメリカに同調し、 中国を加えたABCD包囲網が完成します。 やめてほしければ、満州国を承認せず、三国同盟を破棄。 中国からは撤退しろとのことでした。 追い込まれた日本は、この事態にどうすればいいか悩みました。 陸相、東條英機は、近衛内閣(当時)に対し、 開戦への国策か、総辞職を要求されました。 近衛内閣は総辞職し、後の東條内閣が開戦を決定します。 戦ったとして、経済的にも、国力的にも不利な状況ですが、 軍の目標は、「敵戦力を壊滅させ、日本に有利な 条件で早期講和を実現する」 とのことでした。真珠湾攻撃はこの狙いがあったのです。 こうして1941年の12月8日、日本軍による奇襲作戦で、 真珠湾に駐留している艦船を滅多打ちにするのですが、 これはアメリカの仕組んだシナリオ通りの結果となりました。 アメリカにとっては、もう戦争をすることはもう分かりきって いたことで、日本がいつくるかなと待ち構えていたのです。 すでに奇襲攻撃の暗号をアメリカ軍は掴んでおり、 また、日本の爆撃隊は主力艦隊(空母艦隊等)を 発見できず、(隠されていたことも考えられる) この程度の損害は、アメリカにとってはすぐに 元通りにできるものでした。 日本大使館の手違いがあり、宣戦布告の発表が遅れ、 アメリカは日本を「卑怯者」と国民に伝え、 士気を高ぶらせました。ここに、日本軍の作戦は 完全に失敗し、裏目に出たのです。 と、開戦までの長い道のりでした。
この8日の前後日、真珠湾攻撃を題材とした 番組が放送されていましたが、 終戦の日である8月15日と比べ、 極端に知名度が低いのは言うまでもありません。 原爆が投下された8月6日、9日と、 終戦の日である8月15日。 日本ではいずれも、記念日として覚えられていますが、 開戦の日は、まるで触れられていません。 終戦後、日本に上陸したGHQによって、 教育が一変させられます。 天皇主義に繋がる教育勅語を廃止し、 学校を6・3・3・4年制にしたりなどです。 これはGHQが、日本という鋭すぎる牙を持った獣を 弱体化させるためにとった政策の一つだと思います。 遠まわしに、後世の日本人を、 自分たちの都合の良いように教育させ、 支配しようと目論んでいたのだと思います。 アメリカが日本の教育を操った一つの証明として、 開戦の日が何も触れられないのは、 アメリカが奇襲を受けた、いわゆる屈辱の日だから。 終戦記念日・両原爆記念日は、 「戦争をすれば、こうなる」 と、まるで知らしめているように思えます。 もともと、アメリカは日本の強さを押さえるために、 戦争を仕掛けたようなものなのですから。 |
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