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いわずとしれたといいますか 新選組が唯一、幕末史の中で 必ずとりあげられる事件といいますか。 これで有為の志士たちが斬られたために 維新が一年遅れたとか、 逆に長州の火に油を注ぎ爆発し、 それによって早まったとか いまだに言われますが。
守護職預かりの新選組とはいえ、通り名は 「壬生浪士」であったのですから、 人から見れば私設団体、いまでいえば 派遣の仕事の一つ…… ぐらいに軽んじられ、幕府の犬と馬鹿にされたり していた新選組が、 独自の諜報と探索によって、 評定が進まず大々的な人数を 繰り出せずにいた上の人達より先に、 しかも思いがけぬ小人数で戦闘に突入した。 志士(?)側に備えがなかったとはいえど、 古高捕縛後の緊急事態の時に会合を 持つのだから、それぞれの出入口に 見張りすら置かないというのは 知恵者というにはあまりに粗雑過ぎると 思われます。 後に、武具をつけたまま三浦の警護に ついていた斎藤一の話からすれば、 実戦部隊と革命家(気分)の学生の違いでしょうか。
残念なことに、長州が進軍した蛤御門の変によって 京都大火が実現してしまいましたが。 どちらが発火点かはともかく、 あえてやらずもがなの火事を起こした。 この6月5日の夜は、要人暗殺と放火という 暴発を防ぎ圧倒的な奮戦で 武士の面目を保ったのは その武士たちにお雇い=アルバイトとしか 思われていなかった、素性も定かならぬ 新選組の隊士達でした。
本来の「新選組の日」の一つでしょう。
このあと土方副長が 池田屋について 気合を入れて書かれる……かと思ったら 時間がないそうなので(笑) 失礼致します。
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» 幕新瓦版 [ぶろぐ 幕新日誌から] × 三条小橋の長州御用達の旅籠「池田屋」で夜未明に大捕物が行われました。昨今、巷を騒がせている不逞浪士の会合を肥後守預新選組が少人数で強行突入!!数時間後に別働隊の土方率いる隊も参入した。斬り合いとなりましたが、数名を斬り捨て捕縛者多数となりました。この .. ... 続きを読む
受信: 00:06, Sunday, Jun 06, 2010
» 池田屋当日 [ぶろぐ 幕新日誌から] × といっても、毎年のことなので特に新しい感慨はない。新選組にとっては当然の仕事をしただけ。勤皇志士とやらの、現状打破に何かせにゃいかんという無駄なテロ計画のために死人がたくさん出た、というのが事実で、そこで未然に防いだはずの志士放火も結局は、長州人が大 .. ... 続きを読む
受信: 00:07, Sunday, Jun 06, 2010
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