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原田左之助大金星!!
三条の制札場で制札が壊される事件が頻りに起こり 京都奉行所は犯人を捕縛できず手をこまぬいていたが、 守護職の依頼により新選組が調査していたところ 三条制札前で戦闘となり、見事に捕縛とあいなった次第。
左之助曰く 「きゃつらが制札を引き抜いたけん、ばしっとこらしめた! わしのバッときてバシッと斬っての活躍で勝てたのぢゃあ」
別働隊である大石隊長は 「わしが戦っているところに左之助が敵のうしろから バッサリ殺りやがった!わしのてがらぢゃあ!!!!」 と左之助の活躍を否定している。
なお、土佐藩では 「お偉いさんが留守しているけぇ、発言は控えさせてつかわさい」 と藩の関与に曖昧なこたえであった。
事件の概要は次のとおり
三条制札事件
禁門の変の後、幕府から長州藩の罪状を記した制札が 京都三条大橋西詰に立てられたが 慶応二年六月十七日以降何者かがこの制札を壊すという 事件が続き、新選組が出動することとなった。 見張りについた一日目、二日目は無事。 三日目の同年九月十二日は橋南先斗町会所(三条会所)に 原田左之助ら十二名、橋東の荒物屋に大石鍬次郎ら十名、 橋西の酒屋に新井忠雄ら十二名、斥候として橋下に 乞食姿の橋本皆助、浅野薫という布陣であった。 午前零時頃、土佐系の浪士八人が現れ、 制札に手をかけたので、まず橋本が原田・新井隊に知らせ、 浅野はかなり遅れて大石隊に知らせ、大乱闘となった。 この乱闘で土佐側は藤崎吉五郎斬殺、宮川助五郎が重傷で 捕縛、安藤謙治は重傷のまま土佐藩邸にたどり着いて自害。 同月十九日、土佐藩と新選組が祇園栂尾邸で和解し、 同年十二月二十日、新選組には報奨金が下った。 |
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