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たくさん咲くからサクラというのだとか。 ずいぶん長いことブログをサボ……いや気が忙しく 一年でもっともユウウツになる時期で 何を書こうと思いながら過ぎてしまい。 その間にはまさかのWBC2連覇でやっぱり盛り上がり いつの間に始まってたんだという感じで春の甲子園が、 大相撲が、フィギュアスケートが……。 そしてわが町ではいったいいつ出るのか知らん、 低額……じゃなく定額給付金とやらも一部では 配られ始め、次期政権交代の筆頭と目されていた 野党第一党の大物政治家がまたかという事態で ミソをつけ。資金がなければ政治家の活動はできない。 企業からのワイロになるのはダメだから、では ぜんぶ税金でといわれてもまた困る。 大きく見ても細かく見てもとかく世の中ままならぬ。
……という中で、今年は3月21日頃の開花予想通り、 仕事帰りに駅前のサクラが数輪枝先に咲いたのを 見つけて嬉しくなり、携帯で撮ろうとしたが風で不可。 咲き始めたと思いきやいきなりの花冷え続きで 「サクラも、戸惑ってるみたいだね…?」と しゃれた表現をしたのは喫茶店でいあわせた老紳士。 いつもの年ならあれよあれよと咲き揃う桜並木も 日当たりによってバラバラでつぼみのまま。 まあこのぶんで行くとふた昔ほど前の習慣どおり、 関東でも「入学式は桜の花の下で」となって逆に よいかもしれない。
仕事の休みの日と晴れと直前の桜情報を見合わせつつ、 都内の名園ということで文京区は小石川後楽園へ 思い切ってカメラ持参で出かける。 JR飯田橋駅から陸橋を越え徒歩8分。 まだ平日でよかった(==;;)と思うほどの賑わい。 これが土日だったらどれほど混むか。 ソメイヨシノはまだまだだが、数箇所に分かれた 一重の枝垂桜は見事に満開。花びらが散るところも あればツボミも残っているところもあってまさに見頃。 老人会の団体さんの合間を縫って撮れるだけ撮る。 シダレ桜といえば文京区は駒込の六義園(柳沢吉保邸) が濃い目のピンクで豪華絢爛だが、こちら後楽園は ご存じ徳川家は水戸黄門様ゆかりのお屋敷とあって、 ハデではないが歴史的な味わいがある。 目の前の庭は時代劇なのに桜の後ろの背景が でっかいビルというのがいかにも……しかし鳥は飛び 蝶も舞い、もちろん桜以外の色々な花が咲いている。 都のガイド氏の話をはたでもれうかがいつつ感心し、 入場門前のガラスケースに掲示された 「徳川光圀公の印籠」の写真(笑)も この印籠が目に入らぬかぁ〜と携帯で写したりなど してそれなりに楽しむ。
さて、それから六義園の枝垂桜ライトアップで夜桜見物と いう手もあるが日が落ちると夜風が寒そうなので(^^;;) 飯田橋から今度は地下鉄・大江戸線で2駅の 「牛込柳町」 (ウシゴメ・ヤナギ チョウ……なぜか最後の字は音読み) 駅へと向かう事にする。 この町名でピンとくる通り、最近ではそこにこそ試衛館が あったからというのでわざわざとってつけた(笑)ような駅名に してくれた感じだがさらに今世紀に入ってからは、 「市ヶ谷柳町25番地」 こそが試衛館の存在した甲良屋敷の場所だというので 新宿区で碑を建てた…… 賊軍の親玉近藤勇と新選組幹部の発祥地として それこそ跡形すらなかったマボロシの試衛館道場も 平成の世になればお役人さまが認める時代が 来ただか、やれ行ってみべえ…… 実をいうと過去何度も「牛込柳町」駅は通過して いたのだが下車は初めて。 降りてみて驚いた。 坂、また坂、そして懐かしい商店街、というか。 肝心の試衛館はどこへやら当然のごとく駅付近には 何も手がかりが見当たらず交差点のまわりを 町名と番地表示を探しながら歩く。 ふと市谷柳町25番地、と看板に表記されている病院を 見つけ、その前にも何もないのでひとまわりしてみると ………あった………。 「試衛館跡」 駐車場とマンションと路地のすきまのコンクリのはじに ぽつんと夕日を浴びながら、それは立っていた…………。 しかも根元が何でゆるんだかピサの斜塔のように 傾いていた(==;;)まさか沖田総司の墓のように誰かが 引っこ抜こうとした名残とかいうんじゃあるまいね、と 思いながら人っ子ひとり通らぬ静かな中で写真におさめる。 地元の人も1本通りをはずれて住んでたら 気づかないままなんじゃなかろうか。
多摩と違って各種新選組グッズの店も見当たらず(笑) 4時台の半端な時間で寿司屋もソバ屋も飲み屋もしまっており、 仕方なくぐるりと散歩しながら、駅のそばにかなり歴史の古い 大黒天様があり、階段を登ると星型に見える小さな花を つけた糸のようなシダレ桜(なのか?ナゾ)がひっそりと 揺れながら黄昏に染まって咲いていた。 試衛館道場がどの程度の敷地でどこにあったと特定する、 しないにせよ、若き日の勇や元服前の惣次郎らが、この門前を 通るときにはちゃんと一礼していたことだろう。 ……てなことを想像しながら石段に座りカメラをしまう。
で、うーんうちの近所にもあると思いながら、駅近くのわりと キレイなカレーココ壱番屋がまだすいているので入り、 季節限定グランドマザーカレーなるものを頼み、これが 結構うまかった、のだが、会計の時に親切そうな店員さんへ 「あのぉ……この駅の近くって喫茶店はありませんか?」 と、たずねる。 「あー……喫茶店は………ないんですよねぇ…………」 「…………。」 新宿区内で駅前の商店街なのにマックもドトールもジョナサンも、 って固有名詞連発だがもちろんそんなチェーン店でなくても ふつうの喫茶店でもいいのだが自分で歩いて1軒も見つから なかったのは気のせいじゃないのだと確認し(==;;) ないと聞いたらむしょうにまたコーヒーが飲みたくなったので しょうがなく「牛込神楽坂」まで地下鉄で1駅戻り(笑) 無事、ありふれた喫茶店に到達し、ゆっくり休息する。
そういえば昔、たとえば小説「燃えよ剣」の頃、試衛館は 小石川小日向、伝通院のすぐ近所のように描かれており、 それから牛込柳町と言われ最近は甲良屋敷=市谷柳町と (記録では「柳街」とも書かれていたようなので、字を読んで 語感からすると、ヤナギマチのほうがなんだかキレイというか しっくりしていたのかもしれず……町名は「チョウ」なんでしょうが……) 変遷して落ち着きつつあるようなので、 1日で試衛館もうでをすませたような、と思えばこれはこれで よいような。 近藤道場が東京の町には残らなかった、百年有余を経て ブームになるまで碑も立たなかった、という事実のほうが よほど歴史を語っているようにも思えるのであります。
今年はこの日のほかにも、楽しいお花見三昧の機会は もてたので、ささやかに幸せを感じたり。 今は7、8分から満開にかけてが最も見頃といわれるが 江戸時代の人は花びらがハラハラ散りしく頃が盛りとして その花吹雪のさまをこそ、めでたものだそうだ。 散ってこその桜花、かぶいてこそのおとこ花か(笑) 飲めや歌えや隠し芸ありコスプレありの無礼講は その頃かららしい。 しかし、昔のゴミは全て天然素材ですからね……。 昨今の場所取りから始まりバカ騒ぎとゴミの山で 有名な上野の夜桜見物は避けたい気持ちが強い。
さてまだまだ開花も見頃もこれから、という羨ましい場所も たくさん残っていることでしょう。 寒い冬を越さないと咲けない、という桜にあやかって 厳しい時代も乗り越えたいものです。 |
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