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貫天院殿純義誠忠大居士
慶応四年四月二十五日
閏月があるこの年は一般には火事の多い年と聞く
でもこの年は火事どころではなく戦争が勃発した年である。
正月に鳥羽伏見の戦いで将軍敗走の為に
幕府軍は本気で戦わずして大阪から敗走し江戸に戻る。
西軍は東征軍を整えて江戸に向け進軍。
賊軍になった将軍は戦いを放棄する事を選択し恭順。
恭順派、攻勢派に分かれた幕府軍は勝海舟に従い
江戸から出立、近郊に陣を構える作戦を実行にかかる。
通説の「勝海舟に追いやられての都落ち」ではありません。
近藤勇や土方歳三がこの状況下を無理解な訳ない。
甲州の地平定及び褒美望みでの出陣という意味合いに
しているのは、勝てばこれを引き合いに
西軍との有利な交渉を得るため。
負ければ切り離しは当然、将軍助命が優先の為である。
武士である以上、これは当たり前の心づもりである。
ここの記事にある「幕末乃異端児」で詳しく述べています。

甲州での戦いに敗走し江戸に逃げ帰るが再起をかけて
軍備を整えて江戸の外れ千住に陣取る。
西軍に場所を察知されて幕臣堀田の佐倉に向け進軍するも
下総流山に留まり兵の調練を行う。
何故に江戸近郊に留まるのかと疑問視されますが、
近藤の心意気を考えれば答えは一つとなります。
そう「将軍処遇」の件で近藤は会津に向かわずに残ったのです。
近藤にとって会津は恩義あるものですが当面の危機はない。
幕臣に任じられた近藤は幕臣であり将軍の家来であるという事。
斬首決定されれば即江戸に斬り込む腹積もりでだったのしょう。

下総流山も西軍に察知され取り囲まれる。
戦力低下を避ける為、戦闘をなるべく避ける為に西軍も
尋問という形をとり、頭確保、軍解散を強要する。
今戦闘になれば調練中の軍は壊滅するのは目に見えている。

一般説に「近藤勇は戦闘に疲れ投降」とされているが、
疲れの投降ならば「大久保大和」を名乗る必要はない。
生への執着からである。それは生きて理不尽と戦う為であり
近藤勇だと看破された後は潔く処分に殉じたからである。

新選組の名を名乗った方が相手への威圧行為は向上する。
戦いは相手への威圧からである、あえてそれを行わないのは
幕府から頂いた「大久保」姓を尊重したからである。
それに幕臣大久保として形式に準じれば開放の可能性もある。
無論、元新選組近藤と看破される可能性も否めないが
将軍の兵をここで潰すわけにいかぬ理由であろう。

「戦いか」「投降か」の究極の選択を近藤は後の人間に
志を託して粕壁に向かったのであろう。

新選組局長近藤勇昌宜
江戸板橋にて切腹を許されず斬首と相成る。

富貴利名 豈羨む可けんや

悠悠として 官路は浮沈に任す

此身更に 苦辛在るに有り

飽食暖衣は 我心に非ず



by 土方歳三 ¦ 19:00, Saturday, Apr 25, 2009 ¦ 固定リンク ¦ トラックバック(1) ¦ 携帯

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