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土方歳三が生まれた日、という事になっています。 うわさによれば昭和のはじめ佐藤家の話から出たらしい伝承。 菖蒲の節句の日、さわやかな光を浴びて生まれた 男の中の男…… と、いうことにしてあげたかったのでしょう。
生まれた時は父親の喪中。
歳三が十番目の末っ子。 その前に四人の兄姉が夭折しており、 生まれたとき六人きょうだい。 為二郎(石翠)、喜六(のち当主名は隼人)、 周、大作(良循)、のぶ、歳三。
その後、3歳の時には姉の周(16歳)、5〜6歳の頃に 母が亡くなり、数年ごと葬式を出していたことになる。
喜六は隣家から嫁を迎え、盲目の長兄を養いつつ 弟妹を養子・嫁・奉公に出す。 洪水で歳三の生家は流され(今の土方家の位置とは 違う)移転、もと豪農といえど内情は苦しい。 喜六夫妻の子も生まれ、勤め先でつとまらない 歳三は厄介者。 オレだけ武士になってやる、と矢竹を植えたのも 少年らしい向上心というよりは 複雑な反発が含まれている。
四つ上のねえちゃん、おのぶは先に13歳で嫁に行った。 もともと日野佐藤家は、おばの嫁ぎ先。 なので彦五郎はイトコから義兄も兼ねた。 彦五郎の力量、人格は男惚れするようなもの。 当然、それからの歳三は佐藤家に入り浸る。
自分を育てた実家の喜六兄も四十に入って早世。 長兄為二郎のことは気になるし、甥たちとは 遊んだりもするが、歳三にとってすでに土方家では 居場所はないといってもよい。
日野の佐藤家が歳三にとって事実上の 実家=さと であり、後に市村鉄之助を 行かせたのもその心からでしょう。
今見ると驚くことだが、 土方家の歳三の父母も、きょうだいのうち 九人までも50歳頃までに死んでおり。
還暦を過ぎて古希までの長寿だったのは 長兄の為二郎ひとり。(明治16年没) 跡継ぎになれない身だったのが、かえって 体を保たせたのか?
「歳三が五月の節句の生まれだったって? そうかねえ……まあそういうことにしておこうよ」 とでも、石翠兄さんなら言いそうです。
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