慶応三年(1867年2月5日〜1868年1月24日) | ||
1月 | 1日 | 伊東、永倉・斎藤と共に角屋で酒宴を開き、3日まで流連する。 |
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4日 |
近藤の使いに伴われて伊東ら帰隊し、謹慎を申し渡される。 同日 新選組隊士某、大隈守広光に刀を発注する。 |
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7日 | 沖田・永倉・斎藤、四条橋畔にて十津川郷士中井庄五郎 ・土佐藩士那須盛馬と斬り結ぶ。 |
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10日 | 田内知、士道不覚悟により切腹。 |
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18日 | 伊東・新井忠雄、寺田某とともに九州へ出立する。 |
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28日 | 新選組、孝明天皇の埋葬に幕府歩兵・会津・桑名藩兵と共に御車の警備にあたる。 |
2月 | 2日 | 伊東ら大宰府に到着し、中岡慎太郎・土方久元・真木外記・水野溪雲斎らと面談する。 |
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4日 | 伊東、真木外記と面談し、分離について語る。 |
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5日 | 伊東、大宰府を出立して久留米城下に泊まる。 |
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6日 | 伊東、別行動の新井・寺田某と合流する。 |
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17日 | 伊東、新井らと別れ、日田郡代の窪田治郎右衛門に面会を求める。 |
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19日 | 島田魁、大隈守広光に脇差を注文する。 |
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20日 | 新井、真木・水野と面談する。 |
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22日 | 伊東、佐賀で新井と合流する。 |
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25日 | 伊東ら長崎に入り逗留する。 |
3月 | 4日 | 伊東ら長崎を出立。 |
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10日 | 篠原の働きによって、伊東一派が孝明天皇の御陵衛士を拝命する。 |
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11日 | 伊東ら大坂に到着する。 |
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12日 | 伊東ら帰京し、同志と面談。 |
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13日 | 夜、伊東、壬生某所で近藤・土方に分離策を語り了承される。 |
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14日 | 伊東、三条付近に分離後の宿舎を求める。 |
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15日 | 伊東、大久保主膳・野村左兵衛に面会し、分離について語る。 |
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16日 | 伊東、近藤・土方と酒宴。 |
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17日 | 伊東、三条の宿舎を断念する。 |
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20日 | 伊東、新選組より分離して、三木三郎・篠原泰之進・新井忠雄・加納鷲雄・ 阿部十郎・内海次郎・橋本皆助・毛内有之助・服部武雄・藤堂平助・富山弥兵衛・斎藤一 と共に三条城安寺に移る。 |
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21日 | 伊東ら五条善立寺に移る。 |
4月 | 9日 | 膳所藩士上坂三郎衛門、新選組の御用状を紛失した為処分を受ける。 |
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14日 | 夜、田中寅蔵、脱走する。 |
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15日 | 寺町の本満寺に潜伏中の田中を発見し、屯所に連行して切腹を命じる。 |
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19日 | 山崎・田中一・中山忠能を訪ねるが不在の為面会を果たせず。 |
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26日 | 沖田氏縁者没。 |
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29日 | 矢口健一郎、死亡。 |
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同月中 | 島田、堀川弾正大忠より十両を借用する。 |
5月 | 11日 | 新井忠雄、大宰府に到着して東久世通禧・三条西季知・真木外記・土方久元 に分離の報告をし、同夜、帰京の為出立する。 |
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25日 | 富山弥兵衛、曲直瀬道策を殺害する。 |
6月 | 10日 | 新選組総員、幕臣取り立てが決定する。 |
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12日 | 佐野七五三之助・茨木司・富川十郎・中村五郎・岡田克巳・中井三弥・木幡勝之進 ・松本俊蔵・高野良右衛門・松本主税、脱局して伊東を訪ね合流を図るが拒絶される。 |
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13日 | 佐野ら、会津公用方に脱退請願書を提出する。これを受けて近藤・土方・山崎・ 吉村・尾形俊太郎が説得の為守護職邸に赴く。 |
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14日 | 佐野・茨木・富川・中村、守護職邸にて切腹。その他は新選組より放逐される。 |
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15日 |
朝、佐野らの葬儀が執り行われる。 同日 新選組、西本願寺より不動堂村に屯所を移転する。 |
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17日 | 近藤、幕府親藩会議で激論する。 |
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22日 | 新選組除隊の武田観柳斎を竹田街道で斬殺する。武田の同志一名、枚方方面へ逃走。 |
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23日 |
逃走の同志、枚方で切腹。 同日 加藤羆死亡。加藤は武田襲撃時の犠牲者か、枚方で切腹した武田の同志と思われる。 同日 新選組総員、正式に幕臣取立ての通達が行われる。 |
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24日 | 土方・山崎・尾形・吉村、近藤の建白書を持参し、柳原・正親町卿を訪れる。 |
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27日 | 夜、武田の同調者僧善応を醒ケ井通り松原において殺害。 |
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同月後半 | 御陵衛士、屯所を月真院に移す。 |
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同月中 | 近藤、関白二条斎敬に建白書を提出する。 |
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同月中 | 島田、福島屋慶左衛門に七両を貸与する。 |
7月 | 2日 | 夜、幕府歩兵隊と大手組、島原で衝突し1名死亡、1名負傷。 |
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3日 | 大手組400人、東寺の歩兵隊に押し寄せて発砲。新選組、仲裁に入る。 |
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18日 | 対州人多田荘蔵を捕縛し、奉行所へ引き渡す。 |
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27日 | 伊東、中岡慎太郎を訪ねる。 |
8月 | 8日 |
伊東・斎藤・藤堂・三木、連名で老中板倉勝静へ建白書を提出。 同日 伊東・新井、九州へ出立する。 |
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14日 | 幕府目付原市之進暗殺される。 |
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21日 | 伊東・新井、大宰府に到着し真木外記に面会する。 |
9月 | 2日 | 薩摩藩、元隊士の池田庄司を召抱える。 |
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13日 | 中川宮、会津藩士秋月悌次郎を招き、原市之進の後跡に近藤の登用を提案する。 |
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14日 | 山崎、隊士を率いて本多勘解由・山岡将曹の捕縛に向かうが既に逃走後。 |
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15日 | 伊東・篠原、京都を出立して名古屋に赴く。 |
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19日 | 伊東・篠原、名古屋に到着する。 |
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20日 | 近藤、永井尚志邸にて土佐の後藤象二郎を紹介される。 |
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22日 |
近藤、後藤へ再会を願う手紙を送り、26日訪問の返事を受ける。 同日 伊東、篠原、名古屋を出立。 |
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25日 |
伊東・篠原、京都到着。 同日 後藤、近藤へ風邪の為、日を改めて訪問するとの書状を送る。 |
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26日 | 近藤、後藤へ書状と見舞い品を贈る。 |
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27日 |
後藤、返礼の品と共に10月1日に来訪の旨の書状が届き、近藤は再開を願う返書を送る。 同日 近藤、岡山藩家老日置帯刀と面談する。 |
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同月中 | 土方、隊士募集の為井上源三郎と共に江戸へ下る。 |
10月 | 5日 | 近藤、後藤へ太政奉還建白書写しの一覧を望む書簡を送る。 |
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7日 | 新選組、村山謙吉を陸援隊に潜入させる。 |
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8日 |
土方、日野の佐藤家を訪れる。 同日 松平容保、二条城において板倉勝静・永井尚志らの登城往復に新選組の警護を提案する。 |
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9日 | 容保、近藤を招き、板倉・永井の身辺警護と薩摩・土佐両藩の探索を支持する。 近藤は陸援隊潜入の村山よりの報告で薩摩・十津川に倒幕挙兵計画のあることを報告する。 |
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13日 |
徳川慶喜、在京諸藩士を二条城に召集し、大政奉還の決意を告げる。 同日 討幕の密勅が薩摩藩に下され、長州藩には官位復旧の沙汰が下される。 同日 隊士数名、中山忠能邸を監視するが成果なし。 同日 小島鹿之助、土方より沖田の発病を知り、近藤に宛て見舞状を記す。 |
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14日 |
慶喜、大政奉還を朝廷に奏上する。 同日 長州藩に討幕の密勅が下る。 |
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15日 | 大政奉還が勅許される。 |
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19日 | 近藤、正親町三条実愛を訪ねる。 |
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21日 | 土方、新入隊士20数名を伴い江戸を出立し、品川の釜屋で昼食。 |
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28日 | 近藤周助、死亡。 |
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30日 | 土方一行、四日市に到着する。 |
11月 | 3日 | 土方一行、着京。 |
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9日 | 後藤大助ら4・5名、伏見奉行所与力横田内蔵之允を殺害する。 |
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10日 | 斎藤一、月真院より帰隊。以後、山口二郎と変名して 紀州藩士三浦休太郎のもとに潜伏する。 |
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11日 | 近藤、松本良順にあて上洛を促す書簡を記す。 |
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14日 | 新選組、隊士に11月分の給与を支給する。 |
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15日 | 坂本龍馬、中岡慎太郎、近江屋で見廻組に暗殺 されるが、新選組に容疑が向けられる。 |
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16日 | 村山謙吉、白川の陸援隊屯所で捕縛され入牢。 |
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17日 | 村山、取調べを受ける。 |
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18日 |
近藤、三浦のもとにいた斎藤を帰隊させる。 同日 夜、近藤の妾宅に伊東甲子太郎を招き、帰宅中を油小路において斬殺。 遺骸引取りの藤堂平助・服部武雄・毛内有之進を斬殺する。 |
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19日 |
会津藩より伊東ら4名の葬儀料として20両が下され、新選組は出動隊士に手当てを支給する。 同日 油小路脱出の三木三郎・加納鷲雄・富山弥兵衛、薩摩藩邸に入り、篠原泰之進は知人宅に潜む。 事件を知った阿部十郎・内海次郎は土佐藩邸に庇護を求めるが謝絶される。 |
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20日 | 篠原・阿部・内海、薩摩藩邸に入る。 |
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21日 | 篠原ら、伏見の薩摩藩邸に引き移る。 |
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26日 | 土佐藩の申し入れによって、坂本龍馬暗殺について永井尚志の聴取を受ける。 |
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下旬頃 | 隊士157名を網羅した名簿が作成される。 |
12月 | 2日 | 土方、剣術の小手を購入。 |
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7日 | 坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺の報復として、海援隊士、陸援隊士ら16名、天満屋に紀州の 三浦休太郎を襲撃。警護の新選組と乱闘になり、隊士宮川信吉が死亡。襲撃の中井庄五郎を斬殺する。 |
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8日 | 新選組、大坂の鴻池・加嶋屋ら10軒より4000両を借用する。 |
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9日 |
王政復古。 同日 新選組、新遊撃隊御雇とされる。 |
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11日 |
新選組、12月分の給与を支給する。 同日 鴻池ら10軒へ3000両を返済する。 |
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12日 |
徳川慶喜、二条城を退き下坂し、新選組は城の留守を任される。 同日 新選組、新遊撃隊御雇を返上して新選組を唱える。 |
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13日 |
近藤、二条城の警備を巡って水戸藩と対立する。 同日 紀州藩より宮川信吉の香典42両が送られる。 |
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14日 | 新選組、永井尚志と共に下坂。天満宮に宿陣。 |
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15日 | 山崎・吉村、伏見偵察に出立。 |
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16日 |
新選組、伏見奉行所に布陣する。 同日 小林啓乃助を御陵衛士残党の間者として殺害する。 |
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17日 | 沖田、醒ケ井の近藤妾宅に宿泊。 |
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18日 |
早朝、阿部十郎ら、妾宅に沖田を襲うが伏見出立後の為果たせず。 同日 伏見の動揺を沈静する為、新選組在陣の触書が出される。 同日 夕方京都より帰陣中の近藤、丹波橋筋付近で阿部らに狙撃され 右肩に重傷を負い、警護の井上新左衛門と馬丁の久吉が討死する。 |
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20日 |
近藤の負傷に会津藩より見舞金20両が下される。 同日 近藤、沖田とともに下坂する。 |
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21日 | 夜、新選組、巡邏中の都城兵に発砲し、翌日まで薩摩兵と対峙する。 |
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25日 | 尾張藩士荒川甚作・中村修之進、土方に新選組の伏見退陣を求める。 |
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29日 | 隊士小幡三郎を薩摩藩邸に潜入させる。 |
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